何回目か分からない書きます宣言

更新頻度の下がったサイトが書きます、復活しますと言うのは、もうインターネットでは何百回と見た光景だが、例のごとく自分もまた、もうちょっと何かを書かなくてはなあという気分になっている。何回目だ。
一番怖いのは、書くことが無くなってしまうことだ。書くことと言うか、他人に伝えたいことが全くない、口の水分を吸うだけの絞りかすみたいな奴になってしまうことだ。それはもしかしたら死ぬことより怖いかもしれない。怖いから、乱雑でもいいからこうして何かを書いている。
私の中には、更新頻度はイコール「面白頻度」であるかのような認識があった。質が伴っていなければ、そのうち誰も読んでくれなくなると思っていた。が、時代は、たぶん変わったのだと思う。面白いものはちゃんと誰かに見つかって、そこだけ切り取られて世界中に飛んでいく時代になったのだと思う。気づいてはいたけど、それでも満足いく、得心できるものでないと公開してはならないような強迫があった。しかしそれを捨てようと思う。私はむかし自分が思っていたほど面白い人間ではなかったが、思っていた以上におしゃべりのままでいられた。だからもうちょっと長い文章を書く練習を続けて、絞りかすになるまで書いて、本当に書くことが無くなったら潔くやめようと思う。とりあえず、3日に一回は書こう。5行程度の文章でもいいのだ。書こう……

0.1秒の間抜けさ

いきなりめっちゃ分かりにくい話で申し訳ないが、例えば「俺にも彼女が」と書こうとして「俺んきにも彼女が」と書いてしまい、「俺ん|きにも」の位置に点滅する縦棒(キャレット、と言うらしい)があったとして、私なら「BackSpace」と「Delete」を計2回押下するだろうと予想できる。しかしDeleteボタンを使い慣れていない、あるいは存在すら知らないような人たちは、「→」かマウスで「俺んき|にも」の位置に持っていって、「BackSpace」を2回押すに違いない。この場合、縦棒の移動を含めアクションは3回になる。各動作の速度にもよるが、前者のほうが僅かに、本当の僅かにだが早い。
そんな0.1秒もない時間を短縮して何だと言うのか、何のためだと言うのか。「その方がスマートだから」これに尽きる。いちいちそんなことでズッポリ悦に入るほど自尊の感受性が高いわけではないが、老いても人は無意識に、ある時は信号待ちを読むことに、ある時は料理を食べる順番に、よりスマートな方を選ぶことで僅かな幸せを感じる。
コンビニのレジに「00」のボタンがある。電卓でも使用されるボタンだが、コンビニの会計で「0」を押す回数など、高々3回、公共料金の支払いや各種コンビニ決済、あるいは10005円などの稀な金額でない限り、4回も5回も0を押すことはない――つまり「00」のボタンの存在で得られる時間短縮など知れたもの――だが、店員は押す。500円の品物を5-0-0とはせず5-00とする。人間の知覚できる、知覚してどうにかできるものではない時間が節約される。なぜか?指の負担軽減でも時間短縮でもなく、スマートだからそうしたがる。
その意味で、私は「逝ったぁぁぁ」だとか「○ ○ 終 了 の お 知 ら せ」みたいな表現が、非常にまどろっこしく思える。「ぁぁぁ」は「lalala」と打ち込まなければいけないし、「○ ○ 終 了 の お 知 ら せ」も、一度文を書いてから←[Space]←[Space]←[Space]……と書き込んでいるのだろう。それはスマートではない。F7キーでカタカナに変換するみたく、ひとつのボタンで瞬時にそうできるなら私も書くと思う。しかしそうでないなら、そのスマートでない、"間抜け"な修飾をする気にはなれない。ポチポチと該当部分にてこ入れする様が浮かんでしまう。
なぜだろう?こんな1円にもならないブログを書くのに数十分使いながら、0.1秒の入力を短縮することに喜びを感じ、1秒で終わる飾りつけを躊躇う。塵を積もらせて山にしてから再開発してダムを作って放流するみたいな訳の分からないことをやっている。

”実話”との接し方

「事実は小説よりも奇なり」という言葉がある。実際、創作にしても面白いほど数奇な運命に、時として人は巻き込まれ、それについての詳らかな記録もインターネットには溢れている。

私は「事実は小説よりも奇」であってほしいと思っている。いかなる創作が敵わないほどの奇妙珍妙な物語が、人間の想像を超えたところにある人間の物語が、この世に生まれ続けることを願っている。しかし、インターネットはこの奇妙なる現実を可視化しすぎた。飽和してしまった。いや、飽和したのかどうかは果たして分からない。いったいどれがどこまで嘘か真か、判断のしようがない。例えば、「日本でラグビーを流行らせたのは津川雅彦」だとか、その程度のわざわざ調べて確かめる気も起きないほどの小さな嘘を積み木のように丁寧に重ね建て、そして出来た嘘は真実よりももっともらしかったりする。その真偽が自分の人生に与える影響など小さく、そしてその場合、ただ消費するだけならば嘘でも本当でもどちらでもいいのだ。ティッシュペーパーを食べるのは正気ではないが、食べたところで腹が壊れるわけでもない。誰にも見られなければ、甘く味の付いたちり紙を人はこっそりと食べるだろう。

Facebookで虚偽の「いい話」がシェアされる。いい話なら嘘でも本当でも関係ないと言う人がいるらしい。Twitterで失踪した人間の情報が拡散される。やってる本人は人助けのつもりらしい。凄いカップルの喧嘩を見た。マックの女子高生いわく。あるいは「今日のハイライト」で検索しても良いだろう。どうやらこの世には震えるほど面白い事件が数え切れないほど起きているらしい。

話は変わるが、インターネットにおける「釣り」というのは昔はエンターテイメントの範疇であったように記憶している。釣られても面白かったから許す。そういうものだったはずが、いつの間にかいたずらに人の感情を煽り、溜飲を下げずにはいられない人間に一説ぶたせてその様を嘲笑するようなものばかりになってしまった。悪趣味としか思えないのだが、最近は釣り職人自らが種明かしをしてみせるようなものも見る。そういえば先日知り合いが開口一番に「英語から三単現のsがなくなるらしい」と話しかけてきたことがあった。引っかかったので記憶を探ってみると虚構新聞の記事であった

自慢じゃないが、デマや釣りに引っかかったことはほとんどない。ハナから信じないからだ。「いい話だと思ったら真偽を確かめずシェア」の逆で、「心を動かされそうになったら沈黙する」という流儀が身についてしまったからだ。いつからだろうか、心躍るようなニュースや逸話に接したとき、ただの面白い話として摂取するだけで、言及したり拡散したり、それが真実であるという前提でアクションを起こすことがなくなった。「話半分に聞く」という奴である。それならソースを確かめなくてもいい、原典に当たらなくても、元の論文を読まなくてもいい、それは「創作かもしれないただの面白話」なのだから。

伝聞形で書かれた面白い話はすべて嘘だと思って読んでいる。「こいつは面白いが嘘しか書かない」と思っているブログやアカウントがいくつもある。ネットだけじゃない。夕方のニュースで「政府関係者の話では……」の後に続いて政局の裏事情が間抜けなナレーションとともに語られるあの調子も、何もかもが嘘だろう。だれも真実性を担保しない事実は、何もかも小説でいいのだ。少なくとも、私がその体験を丸ごと墓に持っていく覚悟がある限りは。

そんな態度になってしまったのはいつからなのだろうか。昔はもっとそれらを信じられていた。事実は小説よりも奇だと信じていたから。そこにエンターテイメントを求めていたから。しかし疲れてしまった。踊らされることに嫌気が差したのではない、踊ることに疲れたのだ。誰が弾くか分からない曲に合わせて人と踊ることが、自らの誠実さにもとるからだ。

始めから「これは創作ですよ」と断って書かれたものをはやし立てるのは楽だ。どこにも罪が生じないから。しかし生身の人間が書く魅力的な事実は、もはや「週刊実話」や「東スポ」と同じくらいの信憑性でもってしか受け入れられない。いや、書いたものだけじゃない。聞いたことがあるぞ、2chのコピペをさも自分の思い出のように話す、醜悪な人間を。

人間不信というわけではないが、いくつもの保険をかけなければ現実を感動することすら出来なくなっていく。そうなることが私の望んだリテラシーなのだろうか、と思う。噂話しか楽しみのない老婆たちのほうがよっぽど幸せなのではないか。久しぶりに実家に帰ってそんなことを思ったりもした。

ロート製薬が製作し続けているポルノCM

ロート製薬のリフレアという商品がある。腋に塗って匂いを抑えるというものだが、このCMのせいで腋フェチに目覚めてしまった。調べてみると2004年の、梅宮万紗子というモデルが出ているCMだった。当時私の年齢は、14歳の計算になる。
薄暗い引きの画面から、扉が開いて腋を大胆に晒した梅宮万紗子のアップに移る。困惑したような表情の彼女が次の瞬間、さらに腋を拡大した画面でリフレアを塗りこみ、「よし、これで今日は大丈夫!」とでも言わんばかりの表情で鏡台の前に立ち、満足げに立ち去る場面で終わる。
ここまで詳細に覚えているのはそれだけ衝撃的なほどエロスを感じたからで、それ以来リフレアのCMはこまめにチェックするようにしている。特に商品を腋に指で塗りこむ場面が性的すぎる。このあたりが、スプレータイプの制汗剤のCMとは違うところだ。
あいにくYouTubeではあまり見つけられなかったが、脇フェチの人間にとってはポルノ以外の何物でもないと思う。

バニラビーンズ - ロート製薬「リフレアD&D」15秒CM - YouTube


ロート製薬 リフレア「リフレアバリア」 - YouTube

わいせつ石膏の男

夏、モーテルの駐車場に一台の車が停車する。日本車である。運転席からは一人の東洋人が降りて来る。白いポロシャツにワンタックの茶色いチノパンを履いている。頭にはサングラスと、かぶり疲れてよれたハットを深めに被っている。
助手席から降りてきたのは、中東の血の混ざったように見える美しい女だった。髪と瞳が栗色の端正な顔立ちをしたその女は、妖艶さを隠すように色気のないシャツとジーンズを履いており、肩に入れた刺青がシャツの端から顔を覗かせていた。


男は後部座席においてあった荷物を取り出す。それは石膏を取るための道具であった。石膏粉末、麻を刻んだスタッフ、バケツ、樹脂、等々。雑多においてあったそれらを腕いっぱいに抱えモーテルに入ってゆく。


「ヴァギナの石膏を取りたいだなんて、頭がおかしい人なのかと思ったわ」
「事実、日本では一度逮捕されたからね。確かに頭がおかしいんだろうよ」


男は荷物を整理しながら、ラテックスの手袋をはめて樹脂を千切り分けている。女はベッドに腰掛けたまま、報酬の150ドルを数えながら、男に訊き返した。


「日本じゃヴァギナの石膏を取るだけで逮捕されるの?」
「いや、売るのがダメだったらしい」
「あんなにポルノが盛んな国なのに?」
「警察のお墨付きがなければポルノも犯罪さ。と言うより、警察が天下りしたクソッタレ共がポルノを"ポルノじゃないもの"ってことにして売ってる。呆れた文化国家さ」
「そんな国じゃヴァギナの石膏なんて売れないわ」
「まったく」


男が樹脂を手で柔らかくし終えると、女は言われたようにジーンズと下着を脱いだ。先にシャワーを浴びようとしたが、男はそれを暗に制止した。蒸れた芳香を放ちながら、露わになった下半身がベッドに横たわり、そのまま陰部は蛍光灯へと、吊り上るように上向いた。女のヴァギナは事前に指示された通り、くまなく剃毛を済まされていた。


「こんな格好恥ずかしいわ」
「そうだろう。大抵、こうやって型を取るとき、女は不思議とセックスするときよりも恥ずかしそうな顔をするんだ」
産婦人科に行くと、こんな感じなのかしら」
「さあね」


男はまず軟膏質のものを女の股間に塗った。その手つきに性的な意思はなかった。この作業は密着させる樹脂と股間が乖離しやすいようにするためのもので、男にとっては単なる作業に過ぎなかった。のち、柔らかく、粘土よりも少しゆるい位になるまでほぐした樹脂を優しく女性器に押し当てる。


「その羞恥の顔を思い出しながら飲む酒は最高なんだ」
「やっぱりおかしな人」


石膏は硬化する際に発熱する。そのため人体の型をとる場合、通常は油粘土などで型を取ってから石膏を用いる。しかし女性器は油粘土を押し当てて型が取れるほどの硬度がなく、また単純に油粘土は性器に接触させるには不衛生であった。男は試行錯誤を重ねた結果、特殊な樹脂を用いることにしていた。


「このスライムみたいなの、いったい何?」
「特殊メイク用の樹脂さ。ハリウッドでも使われてるシロモノで、時間が経つと硬くなる」
「ふうん」
「これ一つでアイ・フォーンが買えるくらいの値がするがね」
「アイ・フォーンを買ったほうがマシだわ」


10分ほどだろうか、女はこれまでどんな男にも見せたことのない姿勢のまま、携帯電話を見て時間を潰していた。男は時々指で樹脂の硬さを押し探りつつ、往来しては換気扇の下で煙草を吸っていた。


「どうしてこんなことを始めたの」
「ミロのヴィーナスさ」
「ミロのヴィーナス?」
「そう、ミロのヴィーナス。乳房を出しているのに、下半身は布で覆われているだろう」
「ええ」
「初めてアレを見たとき、そこにある隠されたヴァギナを見てみたいと思ったのさ。失われた彼女の両腕に想いを馳せるように、布一枚の向こうにある大理石のヴァギナをね。それで気がついたら、無数の女とこんな夜を過ごすようになっていたと」
「嘘ばっかり」

「確かに、こんな話が嘘か本当かは、もうどうだっていいことだ」


硬化した樹脂を取り外すと、女は凝り固まった股関節をぐりぐりと揉みながらシャワーを浴びにいった。男はその樹脂から石膏の型を取り始める。石膏の粉末に水を加え、その中に樹脂を沈めてゆく。


午前1時28分。男は最後の煙草を火に晒した。夜風に当たりながら、今しがた咄嗟に吐いた自分の嘘を反芻していた。


「ミロのヴィーナス、か」


およそ、この世で性的蒐集というものには理由も目的も無いものだ。ただただ心の赴くままに。彼さえその例外ではなく、なるようになってここに流れ着いた。そんなことのために祖国を出て、見知らぬ異国の女を口説いている。何度嫌気が差そうとも、その度に呪わしい儀式に溺れることを彼は彼自身に許す。この夜もそんな、何度目かの夜だった。


「じゃん」


シャワーを浴びた女は衣服を着ることなく男の前に立っていた。男が暴かなかった乳房が自ら露わになり、しかしながらバスタオルが腰骨よりも低い位置で危うく留められていた。髪はアップにまとめられ、彫刻のようにポーズをキめてこちらを見ている。


「ヴィーナスの型はできたかしら」
「ハッ」


男が鼻で笑うと同時に、煙草の灰が腕に落ちて取り乱す。窓の外に煙草を弾いて捨てると、彼は呟く。


「確かに、俺ァ最初から芸術家でも名乗ってれば良かったのかもな」


夜を更かすだけの煙草はもう無く、口を滑らせるだけの酒も用意していない。ただ湯上りの女の体と固まりゆく石膏から湯気が立ち上り、部屋の中で冷ややかな夜風と混じり合っていくのみであった。


http://mainichi.jp/select/news/20130627k0000e040210000c.html

オオカミ少年の教訓

俗に「オオカミ少年」という単語で連想される有名な寓話がある。タイトルは「嘘をつく子供」「羊飼いの少年」あるいはそのまま「オオカミ少年」であったりする。羊飼いの少年が狼が来たという嘘を触れ回って村人にいたずらをしていたところ、次第に彼のいうことを誰も信用しなくなり、ある日本当に狼が襲来してそれを知らせるも、誰にも信用されなかったという話である。


この話は多くの場合、日ごろから正直に嘘偽りなく過ごすことで他人からの信頼を得るべきであるという教訓とともに語られる。逆に言えば嘘偽りを喧伝して暮らしていればいつか罰を受けるという話であるのだが、その場合の「罰」に相当するものが何であるかは、地域や語る者によって若干異なるという。おそらく日本で最もポピュラーなオチは「少年が狼に食べられてしまった」あるいは「少年の羊が皆食べられてしまった」というものであろう。しかし元のイソップ童話では狼が食べたのは「羊の群れ」もしくは「羊」であるらしく、こちらの意味で取れば、村の多くの羊が襲われ、そして損なわれたという終わり方であるらしい。
前者は因果応報の典型的な例だが、何のアクションも起こさなかった村人の羊が襲われず少年だけが被害を受ける(最悪の場合死んでいる!)という、胸はすくが不自然なオチということになる。
では後者ではどうだろうか。嘘つき少年は本当の狼の襲来をいち早く知らせようと村中に叫びまわったがそれも空しく、村人が狼の姿を捉えた頃には時既に遅し、羊と人の悲鳴の混ざり物を過ぎて、窓を開ければ臓物を放り出して赤く染まる羊の体とそれを守ろうとして負傷した村人たち。静けさを取り戻した村に少年は歩み出る。誰が少年を責められようか。しかし村人たちはあの時、咄嗟に少年を信じて羊を隠し戸を閉められただろうか。人々の心の中に「あの時ああしていれば」という無数の過去が磔にされ、人々の心の中に浮かび上がってくる。そんな終わり方に、なってしまう。
「オオカミ少年」の話はこのように、リアルに想像しようとすればするほど、ただただ悲劇的で心がヒリヒリする話にしかならない。
それに後者の場合、「いかなる時にも人を信じなさい(そうすれば救われたのだ)」というような教訓を付与することもできる。どんなホラ吹き糞野郎でも汝に声をかける者を信じなさい、そうすれば救われる、道は開ける… というどうしようもなく理不尽で非実践的で宗教臭い教えすら、物語の向こうに見ることができる。確かに現実は不条理で、正直者は馬鹿を見るし憎まれっ子は世のアーリーアダプターなのだ。このような事案が再び起きたら案外、少年の羊だけが助かった、みたいなことにもなりかねない。胸糞の悪いifではあるが。


嘘の警鐘を鳴らし続けるという意味では、現在でもオオカミ少年のフォロワーであるところの「地震少年(代表:@tokaiama)」「幽霊少年(一般に霊媒師と呼ばれる)」「外国人が政治をジャックする少年」などが多数いる。しかし私は、上に書いたようなオオカミ少年の「第二の教訓」を鑑みてもなお、そういう人々を信用することはできないだろう。


結局、寓話『オオカミ少年』における悲劇を評価するならば、何度も嘘をついた少年を教育しなかった村民の怠慢が原因のひとつではあるだろうし、そもそも狼が来たのを肉眼で確認してから間に合うもんなの、とか、津波に対してそうであるように狼の生息域から居住・牧羊スペースを離す(そもそも狼って不用意に人里に下りてくるもんではない、遊牧なら知らん)とか、いろいろ考えたあとでゲーム理論とか安全工学とか経済学の視点からチャチャッとやってどうにかしてよとか、まあ、凄く適当な感想になってしまうよね。狼とか人間で太刀打ちできなくね?羊の一匹や二匹、食べられてもしょうがなくね?

今日届いた迷惑メール

携帯で何かのサービスに登録するということがほとんどないため、これまで迷惑メールの類が届いたことがなかった(docomoががんばって弾いてくれているのかもしれないが)のだが、今日の深夜2時半にこんな迷惑メールが届いた。

送信者: info@pompomblue.info
件名: Re:
f:id:kubomi:20130409215837p:plain

午前2時半、着信音で起こされメールを見るとこのageモナー
URLの誘導も何もなかったので、返信するとまずい類のメールであることはすぐに分かったのだが、しかし懐かしいものを送りつけてきたもんだと思った。