その言葉、危険につき

FUJIFILMの「 PHOTO IS 」や朝日新聞社の「言葉のチカラ」( ? )のようなタイプのCMには強力な胡散臭さを感じてしまう。「 PHOTO IS 」はオノヨーコや福山雅治が「 PHOTO IS 〜 」と言い続け、「 言葉のチカラ 」はサラリーマンや学生やスナックのママが「 言葉は 〜 」と言い続ける。どちらのCMも" 〜 "の部分にその人の思い思いの言葉が当て嵌められる。「 PHOTO IS MEETING , 写真は出会い 」と言った具合に、「 それっぽく聞こえる 」言葉がどちらのCMでも羅列されるのだ。
こういった類のCMやキャッチフレーズ、あるいは詩なんかは、個人的に虫唾が走るというか、安っぽさを感じるというか、どうにも信用できずに身構えてしまう。それっぽい雰囲気を醸し出すだけで、こっそり誰かがルー大柴よろしく「 言葉はLanguage 」とか言ってても普通に聞き流してしまいそうな単純さしか無い。それでいて「 どんなもんじゃい!グッドな余韻が残ってるやろ! 」という自信に満ち溢れた表現の仕方がまたどうにも駄目だ。


ところで、こういった言葉の怪しさや危険性をいち早く芸に取り入れたのが彦麻呂だと思う。親子丼であろうがハンバーグであろうが、「 宝石箱 」や「 IT革命 」等の単語を狂ったように当て嵌めていくので、視聴者は「 何でも言えばいいってもんじゃない 」と思って笑う。しかし、これが彦麻呂の技であり同時に私達への警鐘でもある。つまり、単体では意味を成さない言葉がいかに愚かかを表現しているのだ。もしも「 宝石箱 」が「 ダイアモンド 」で、リポーターが中尾彬だったらどうだろう。「 このイクラは美しいね・・・ダイアモンドだな・・・ 」と言ったとするならば。うん、ありそう。ここが怖いのだ。彦麻呂の芸は、ところどころをちょっとズレた表現にしているから笑えるのであり、そうした彼の計算の上にのみ成り立っているのである。
彦麻呂のあの空回りするテンションと、同じフレーズの乱用と、「 なんかズレたレトリック 」。これらは全て現代社会へのアラートである。彼のギャグを介して世界を見る時、人々は陳腐な言葉の甘い幻想から脱し、永い眠りから目を覚ますだろう。