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Wi-Fi と mixi

今日、DSのテトリスでWi-Fi通信をやってみた。不特定多数の人間が、ただテトリスをするという目的の為、DS片手に相手を待っているのかと想像する時の可笑しさ。そしてようやく届いた相手のデータが名前と勝利数とレーティングのみというドライさ。大変好ましい。好きだ。何のルールもマナーもなく、黙々とプレイして去ってゆくというあっけなさが、私にはとても楽しい。


逆にあまり好きではないのがmixiなどの、いわゆるSNSというやつ。一度招待されて入ったのだけれど、多分今後二度としないと思う。
mixiにおける他人へのアプローチの仕方は、いわゆる「 クラスの人気者 」のそれと似ていた。クラスの人気者というのは、悪く言えば、図々しさが正当化される人種だ。ギャグのセンスとか、顔立ちとか、あるいは何故か憎めないキャラクターとか、そういう要素が免罪符になって、土足で他人の領域に入り込んでくる。mixiも同じで、その免罪符が「 ネット上であること 」に代わっただけだ。ネットの特性を利用して、他人との距離を埋めようと必死になっている。ネット上でも人見知りする私に、mixiが合わないのは当然だった。
よく「 ネット上に表れるのは、その人の人格の氷山の一角でしかない 」みたいなことを嘆く人がいるけど、氷山の一角のままでいいじゃないかと思う。氷山の一角を知って、自分も氷山の一角なりに距離をとって接するのがネットだと思っていたから、たじろいだたじろいだ。腹割って話しましょうっていう、前提および強制力みたいなのが、赤の他人との間で既に発生しているのだ。参る。私にとって「 好きな子順番に言っていこうぜ 」レベルのオープンさが、親しくも無い人間に求められるのは正直吐き気がした。常に修学旅行の夜12時みたいなことになってる。


ネットに自分のコンプレックスを包み隠してもらって、それを推進力に他人のことをグイグイ知ろうとする。そういう人が実際mixiにはいて、というか多くて、それは虫が良すぎるんじゃないか、って思う。Wi-Fiも確かに包み隠れてはいるけど、相手も自分も僅かな情報しか示せないのが分かっているから、何の干渉もない。ただ、その限られた空間の中で、例えば相手の名前が「 うぬにはたおせぬわ! 」だったり、何回も続けて対戦してくれたりすると、それだけでかなり嬉しい。その距離感がたまらない。ネットと現実の境界を崩すような、そんなコンテンツが増えているけど、少しはこういう空間も残しておいて欲しいなあ、と思ったり。