てっちゃんのアッパー・リップ

宮崎哲弥の上唇が気になってしょうがない。すう、と視線が吸い寄せられてしまう。私にとって、いかなるルージュも匹敵し得ることのない程の引力。恐るべき若手評論家だ。
まずあの喋り方。驚くことに例の上唇がほとんど動かないのである。下唇は文字通り、口角沫を飛ばさんとする勢いでのたくっているのだが、ふと上に目をやると、獲物を視界に捉えた大蛇のように鎮座するふっくらリップ。上下で激震と不動が共存するその空間はまさにトヨタホームの耐震実験CMを彷彿とさせる。ミラクルかつミステリアスなそれは、聞き手の目を自ずとそちらに向かわせる。気付けば、彼の展開する過激な論をそっちのけに、その神秘的な表情筋に思いを馳せてしまっている。


また、もう一つ気にかかるのが、ツボで言う「 兌端( だたん ) 」つまり上唇の先端が、ポッツリと浮かび上がって見えることだ( 参考 )。上唇が揺れないために余計強調されて見やすくなっている、というのもある。上で私は、調子こいて彼の上唇を「 大蛇 」と形容してしまったが、実は先端に限ればヒヨコのクチバシに近い。小さく丸みを帯び、今にも愛撫したくなる形なのだ。
これが男の上唇に対して抱く感情でないことは分かっている。イエス、私は異常だ。しかし、私が伝えたいのは、奇抜な遍歴を持つ彼が、時折そうした可愛らしさを見せるという、いわばギャップのことなのだ。子犬を拾うヤンキー、淫乱の高飛車女、コンニャクを貫けぬ斬鉄剣。様々な作品における「 ギャップ 」とは、かねてより人に記述されてきた願望の結晶である。そして私もまた、社会に鋭く切り込む宮崎哲弥の表情に、安らぎをもたらす一筋の光を見出した。全く同じことではなかろうか。


乖離した存在同士を呈示することで二つが中和し、温かみを生む。ギャップが愛される理由はそこにあるのではないだろうか。そして私にとっては、宮崎哲弥という強酸を中和するものが上唇だったのだろう。・・・と理屈をこねてみたが、実際のところ、そのポツンとした部分が理由も無く可愛らしく思えるだけでもある。他人に理解してもらえないのも当然の歪んだ愛情である。しかしながら、この出会いによって更に宮崎氏に好感をもったのは紛れも無い事実だ。
早くハイビジョン放送で拝見したいと思う。