ルーのミス

ルーブログを好きで見続けているのだが、最近読んでいると違和感を感じるようになったので何かと思っていたら、ご丁寧に「 訳 」が振られ始めたのだ。


彼の評価すべきところは話し言葉をそのまま書き言葉として利用する天真爛漫さである。日本語の中に落雁職人を超える力で英単語を押し込み、英文法は完全無視、かつ日本語としては理解に数秒を要するという、意思伝達の方法としては非常にマージナルで玄人向けの高等技術を彼は使っている。それはブログでも共通していたのだが、少し前( 特に4月アメブロ移転後 )から様子がおかしい。読者層の拡大を意識してか、その英単語に訳が振られ始めた。「 ベリービューティフル( 美しい ) 」といった具合に。
それだけなら私の堪忍袋のキャパシティの耐え得る所であるが、問題なのはその振り方に全くの法則性がなく、しかも若干難しい単語はかえって訳されていない場合があることだ。同じ「 プレゼント 」でも、「 贈り物 」の場合はきっちり訳してある癖に、「 現在 」の意で用いられているときは全く手付かずである。前者は馬鹿にしているのかと問いたくなるが、後者では一瞬たじろぐばかりか分からない読者さえいるのではないだろうか。


思うに、彼の面白さはそうした英単語を得意満面に駆使することにあるのだ。単語の難度に因らず、あたかも常識のように畳み掛ける様が滑稽であり、かつ勇ましい。そしてその横では関根勤が顎関節の限界に挑戦する形で大きな口をあけて笑っているのだ。彼の名フレーズ「 トゥギャザーしようぜ! 」がいい例だ。"together"本来の副詞的意味は当然の如く破壊され、"Be together"とは全く異なるニュアンスを醸し出している。しかしながら、それは"Do it together"でも無く、視聴者( 読者 )の脳内に空白とも困惑ともつかないものが発生する。私たちはその意味について悩み続け、そこに生じたクレバスの中で、やがて悶絶が笑いへと変化する。そして僕らはルーに恋をする。
「 ? 」が魅力であるルー大柴語において、日本語訳はまさに「 手品の種明かし 」であり、アハ体験は無用の長物となる。もはやそれはルー大柴で無くなる。「 解って当然だろ 」という顔で英語のボキャブラリーをひけらかしてこそ、彼の中の「 ルー大柴 」は生きるのだ。
彼に今伝えたい。読者は案外、「 読者を無視したエントリー 」を求めているという事を。