世界は先端で解放される

昔から枝とかコンパスとか、針状のものを手にすると近くのものをほじる癖があった。機械の分解と同じ楽しさである。その対象は、時には運動場に根を下ろしたカタバミであったり、接合防止の粉にまみれた真新しい消しゴムだったりした。破壊というには幼い行為であったが確かにそれらの構造は一つ一つ剥奪されていて、その対象がヒトに移行しない内にひとしきり堪能した。
ただ、シャープペンシルの先端だけはいまだに私に囁き続けるらしく、今でも古いコクヨの机にできた木目の溝だとか、弓を握ってできた指のタコだとか、そういったものにグリグリと手荒なコンタクトを取ってしまう。


確か初めてシャープペンシルを使い始めたのは小学五年生だったと思う。その頃、私は例の癖によって理科のノートの綴じ紐を半分くらいまで解いてしまったのだ。授業中、無意識で緻密な摘出オペが行われていたようで、気づくとノートは極めて頼りない姿となっていた。徒歩での通学だったから、ランドセルの中でシェイクされた理科ノートは学校にて既にだらしなく股を開いており、取り出していざ授業という時には言われなくとも前回の授業内容を露呈しているのであった。学期の最後にノートの提出があったのだが、そのときの担任に「 斑君はノートを食べているんですか? 」という衝撃の質問を受け、教室にいた"ノートを食べない"クラスメイトに爆笑されたのは今でも覚えている。ノートを食べた?俺はただパーツを愛でていただけなんだ。


一学期終了。夏休みを経て二学期。理科ノートの綻びは進行していない訳が無い。ノートは殆ど上端の一点で繋がっており、扇子のような開き方を可能としていた。
理科の授業ではメダカの生態を学んでいた。百科事典で読んで既に知っていたセンテンスばかりが教室にこだまし、私は酷く退屈な呼吸を強要されていた。私はシャープペンシルの運びを休め、ノートから腕を外し、首を上げ、体を仰け反らせて、窓の外を眺めていた。早く終わらないだろうか。三階の教室からは校庭のコスモスも見えない。なぜもっと運動会の練習をしてくれないのか。なぜONE PIECEがこんなに流行しているのか。そういえば飛行機がビルに突っ込んだけど、テロってそんなに凄いことなんだろうか。昔から頭が悪かったから、そんなことばかりを考えていて、それでも退屈は凌げず、分かる事と分からない事のバランスが悪くて心は不健康だった。そんな時、一群の強い秋風が教室の中を吹き抜けた。


そのとき、私の理科ノートは、風に乗って飛んでいった。


一瞬の羽ばたき。綴りから解放されたノートたちは、その一枚一枚に生命を宿して宙に舞った。胎児の図、ザリガニの観察日記、月の満ち欠け、朝顔の発芽、実験のレポート、それぞれが飛び立った白い鳥達の羽を彩っていた。
隣に座っていたナホちゃんは悲鳴を上げた。まさにヒッチコックの『鳥』のワンシーンである。


私はしばらく茫然とし、何が起こったのかを悟ると、一心に「 すいませんすいません 」と先生に叫びながら地に落ちた鳥達を掻き集めた。その後クラス中に限らず、いよいよ家族にも笑い者にされたのは言うまでも無い。
私のノートは母の手で直され、背表紙には二重にガムテープが張られた。それ以来私のノートは一冊たりとも崩壊していない。ただ、未だに先端が私を魅了し続けるのは、それらが「 指先の延長 」であるからである。道端の小さな花を摘み取るよりも細やかに、薔薇の棘は世界をほどくことができる。あの頃私の興味は単なるノートを越え、その先にある綴じ紐や紙の繊維を捉えていたし、シャープペンシルの先端は今でも、私にミクロを記述するのだ。もちろん、筆記具としてではない形で。