訝れ、アーティストという謙遜のかけらも無いことばを。

既にアーティストは和製英語となってしまったと言われれば反論の術を失うのだけれども、原義の「 芸術家 」という意味に立ち返ってみれば、現在の日本での使われ方は目に余るものがある。確かに私は芸術を語る資格などないのだが、唯一明確なことを述べるならば、アーティストという言葉は、確実に、アートという名を受けながらその身をドブ泥の中に持ち崩していると言わざるを得ない。私もここではなるべく避けてきた「 アーティスト 」という表記だが、よく考えれば異常事態が頻繁に起こっている。「 新人アーティスト 」というのが良い例だ。新人の時点で既にアーティストに達する者がポコポコ出てくるのはどう考えてもおかしい。


と、ここまでははてなダイアリーキーワードの「 アーティスト 」項で既に述べられていることなのだが、さらに問題なのは、この呼び名を自ら用いる者が非常に多いと言うことである。企画でCDを出すことになったアイドルや声優までもが、「 アーティストとしての自分を… 」「 アーティストになった今… 」などと言い出す始末である。確かに、音楽のジャンルが多様化し、それまでの歌手、バンド、ミュージシャンという言葉の範疇を超えた表現が存在する今、アーティストという呼称を用いざるを得ない場面が存在するのも確かである。しかし、歌手、バンドなどの名称がその形式をあらわすのに対し、アーティストという言葉は「 アート 」という、ある種の評価を内包する言葉である。そう考えると、音楽番組のインタビューやメッセージVTRなどでかしこまった様子で話す彼ら彼女らが突然自らをアーティストと呼び出す様子、私にとっては不自然すぎる。遜ったかと思えば驕り、日本語の乱れを嘆く前に、その人格がクエスチョンマークでキラキラと輝き出すのを目の当たりにするのである。