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面接でバリバリ語れる部活をしている

ネットに殆ど潜らない日が続いていた。というのもほぼ毎週模試と試合、毎日部活と課題と勉強で正直かなり充実していた。在学中に取りたいと思っていた弓道二段の認許も頂いた。書いたことがなかったが、実は去年から弓道部の部長をやっていて、来年度への引継ぎがじきに迫るこの時期、改めて中々に貴重な体験をしたと感じている。

弓道の指導は難しい。まず楽そう、という理由で弓道部を志望する輩が多いこと。そして実力の波が激しく、容易く慢心を招くスポーツであること。それに加えて男子はやはりどこかで反抗したがる性分が厚く、カリスマのセンスを一片も持たない私にとって一癖も二癖もある彼らと向き合ったこの一年は非常に苦しいものだった。試合での勝利、二段の取得、これらが手早く得られていれば私の言葉も僅かに重みを増したのではないかと思い踏ん張って来たが、今更になってしまった。それでも私の教えるところを慕い、忠実に実力に還元してくれるものもいて、彼らが的を射てはまた射る姿を見ていると、これまでの努力が報われるようで清々しい。かつては男子特有の低い声と高いテンションでやかましかった道場も、今は黙々と弓を引く動きが専らとなっている。私を恨む者もいるのかも知れないが、そのところはもう仕方が無いことなのだろう。それを含めてなお、部長のポジションとプレッシャーは最高のエンターテイメントだったし、欲を言えば将来、自分の選んだ職業においても、このくらい危険な遊びがしたいと思うようになってきている。
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ところで、弓道は武器としても危険だが、精神的にもなかなか人間の醜いところを映す危うさがある。上にも書いたように、練習を積んで的に当たるようになってくると、今度は的に当たる悦びに夢中になって正しい型を意識しなくなる。それでも自分を省みることなく的中の亡者になったものは、次第にその射を醜くしてゆき的中も失う。上達するに従って、返って自分を疑い続けなければならないのだが、これは教えても肝に銘じる者と聞き流す者の両方がいる。この指導が何より難しかったように思う。ただ、これをある程度守り続ければ、的を射抜く営みはむしろ大人同士のコミュニケーションのように軽やかに執り行われる。現在私が的に向いて弓を引くとき、調子のよい日であればその的中は蓋然を超えて確信、分布を窮めてほぼ一点を射すようになる――それでもこれに一喜一憂してはならないのだが――。
ただここに書いたエントリーも同じく、昔ほど反響・評判を気にしなくなってどうにも覇気の無い感じになっているのだった。