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グッバイ・トゥエンティエス・センチュリー

21世紀は同時多発テロから始まった、ということを言う人がいる。あるいは、2000年で時代は停止しただとか、よくある話ではある。
私は寧ろ20世紀の記憶が殆ど潰れてしまっている。今日、ふと気づいた。中学校以前の多くの記憶が無い。中学校のものも怪しいくらいだ。当時一緒に勉強していた女子の顔は、今やノーメイクであっても識別できないだろうし、所属していたテニス部の後輩の顔も、かなりあやふやだ。不要かどうかも決めかねる記憶がどんどん消滅してゆく。昨日の晩御飯は覚えていない。妹の学年が分からない。母の年齢、携帯電話の位置、ここに書く内容、全てが、最近特に素早く消えてゆく。昨日解いた漢文の一説は少し感動したのでそらんずることは出来るが、それ以外のほとんどがマイルドで脂っこい塊になって脳に溜まっており、ざんぎり頭を叩いてみてもノイズしか聞こえない。
時間が進むのが早い、と強烈に実感させられたことがあった。妹が家で中学校の制服を着ていたことだ。スカートを履いた姿を見て、私の中では小学一年生で止まっていた妹が打ち出の小槌もしくはスーパーキノコで急成長したのかと思ったが確実に六年間の一切がそこにあったのであり、両の手はまことに震え恐ろしさに冷や汗が出てしまった。
私は決して無駄な時間を過ごしていたわけではなかったし、現在も充実した日々を送っているのは間違いないのであるが、確実に輝いていた瞬間の連続を勝手に惜しみなく省略している自分の脳みそは酷く憎らしく勿体無いことをしたものだと、ただそれのみが泣きたくなるほどに悔しい春休みの一日であった。