吸血鬼に血を吸われたい願望

あるか。私にはある。
吸血鬼に対する偏見三様。一つ。吸血鬼に血を吸われることは即ち死を意味すること。吸うことは吸い尽くすことまで意味が拡張される。しかし、この思いは自殺願望と異なる。二つ。これまでの映画小説その他描写されてきた物に沿うならば、吸血の毒牙を被る者はもれなく衝撃に次いで恍惚に似た表情を示すこと。三つ。吸血鬼であれば性別と貴賎を問わず願わしいものであるということ。
吸血鬼は忍び寄る。吸血鬼の容姿は紳士あるいは艶女である。吸血鬼は突如豹変する。性的な衝動と同様に、理性を轢き潰して鮮血を求める。品行方正、容姿端麗、しかしながらその命は人倫の限りではない行いで繋ぎ止められている。あまりにも凶悪でありながら、脆い。


さあ、噛み付かれよう。あなたは西洋式の挨拶のついでに、或いは愛を持って彼もしくは彼女を抱きしめた瞬間に、首筋の動脈に牙を突き立てられた、と。まあ、人間はただの血袋だと見てしまえば、水風船が己が水圧に従って水を吐き出すように元気ハツラツの失血、次いで抵抗する間もなく意識はクリームの流れ。ぶちん、とダブルの穴で開封された血のボトルは、その驚愕で高鳴る鼓動もお付けして送料無料の出血大サービス。吸血鬼の方々は血脈をドリンクバーか牛の乳房程度に見ていただいて結構。
じきに私たちは、力なく失神する。その過程で、マイケルジャクソンを見てアドレナリン満開で倒れる女性のように、或いは吸血鬼の呪力や毒のために、私たちは快感に似たものを獲得すると予想される。ここで注意すべきこと。私たちは見事にしぼんでいる。血は干されまたこぼれ血圧は気圧を下回ることもあるだろう。なぜなら人間はこの場合構造的にパピコと変わらないから。見るも無残に悄々と角ばり、血色を失っていきおいファラオの出来上がりである。そして吸血鬼は獲物が落ち着いて醜くなることを知りながら、ただひたすらに呑む。栄養源であると同時に、血は嗜好と依存の対象でもある。需要と供給、生と死、己の愚かさと命の傲慢さを目の当たりにしながら、それでも我々の頭は死ぬまで疑わないのだ。豹変しても猶忘れがたい、彼ら・彼女らの美しさを。