Why"爆破"?

イー・モバイル爆破予告で逮捕が立て続けに二件発生したのだが、2ちゃんねるにおける犯罪予告をしてしまうのは掲示板の匿名性のほかに「爆破」の持つ短絡的で分かりやすいアホさが関係しているのではないか。
そもそも爆破という行為は人、物の個別性を極限まで排斥する破壊行為である。例えばハリウッド映画の中で、高層ビルが破壊されるとき、あるいは研究所や工場で大規模な火災が起きるとき、私たちはその轟きと火炎が誇るように広がる光景を見ながらにして、それを被る人間のオリジナルの苦しみ、あるいは死を想像することは無い。爆破の瞬間は、人としての良心が助走をつけるにはあまりにも短く、非日常的な地獄はむしろ目に鮮やかなエンターテイメントとして見なされている。ニューヨーク、世界貿易センタービルに旅客機が突入する瞬間をNHKの中継で見ていたとき、一瞬ごとに潰裂してゆく窓に、人の影を思って嘆いただろうか。少なくとも小学生の私の興味は灰燼に帰してゆく建築にのみ注がれていた。無差別な射殺や刺殺とは違って、時間当りの規模が大きすぎる。爆破とは、憐憫を忘れさせる魔人である。爆破とは、人の想像力を捻じ伏せて入る隙を与えなくする魔人である。故に爆破は手段として筋肉質でありながら、人間の行為として非常に下品で非才で、頭が悪すぎる。加えて卑怯だ。


これが顕著に現れているのがヒーロー戦隊である。
そもそも怪人や怪獣やショッカーが爆発する必要があるのは何故か。死に行く悪の苦痛は、描写されてはならないからである。不条理や絶望の存在しない世界は、実現されないとしても求めるべきものであり、その夢想は子供に許され、また託されたものだ。消費されて磨耗した勧善懲悪のストーリーを大人が嘲ったとしても、その非現実は無邪気な心の中で現実であるべきなのだ。そこで怪人が己の命をか細い声で請っては、業火の中で断末魔の叫びを上げては、掠れた「イィーッ…」を響かせては、その世界が崩れるのだ。無邪気な心は、無邪気に彼らを哀れみ、深く悲しむのだ。だから、爆破することで栓をしてやる。災いをパンドラの箱に封じ込めたように、悲しみや苦しみを、真っ赤な炎の中に隠してしまうのである。その意味で、爆破はファンタジーの封入でもある。


だから、爆破予告の犯人の心には爆破すべき人は描かれていないはずだ。爆破する対象はいつも点ではなく漠然とした空間でしかない。それはイー・モバイルという何かであったり、小学校という何かであることはあるが、個人には決してピントを合わせていないし、起こりうる無制限の個人に対する攻撃は脳内で処理されていない。爆破とは、ハードルが低く短絡的なアイデアであり、おかしな人間に混ぜてはならない玩具である。