じらしてうるおす

最近の自販機は覇気がない。かつての自販機は、例えば500円を投入すると、複数本の購入を想定してそのままランプが点灯していた覚えがある。そういうときはお釣りバーを下げないと出てこない。
ところがいつのまにか一本買うと即決でお釣りを吐き出すようになった。買う前に複数購入の旨を伝える必要があるのかと思ったが特にそのような渡りは見つからない。確かに一本のみを購入することが多いし、消費者のニーズに応えた結果なのかもしれない。だがその実、自販機たちは売って売って売りまくりたいのが本意ではないのだろうか。立ち寄った私を見つけ、その喉を隅々まで潤したく思っている一方、プログラムに逆らえずにいるのだとしたら?昔の自販機は「残りの150円でボルヴィックもいかがですか?」と微笑みかけてシグナルを送っていた ― 我々はその一瞬、自分の喉の渇きをもう一度見直し、また彼女が健気に、そして無防備なまでに提示する商品列を再度眺めていたのではないか?それに比べ今、コイン投入と目的商品の確保、そして迅速な清算に特化したヴェンディング・マシーンを個として認識することは無い。それらは凡百の機構であり、人々の焦点は既にそのストックにしか絞られていない。


ああ!合理主義のなんと残酷なことか!人間が機械と心を通わせることは、不可能であるばかりか人間自らがこれを峻拒させたのだ!どうか彼女たちの「こころ」が残っているうちにもう一度・・・私は自販機の前に自転車を止め、1000円札を取り出した。目の前にあった彼女は頭に蜘蛛の巣をあしらっており、プラスティックは無数の微細な傷によって曇っていた。私は確信した。刻まれた年月が如何にその身を濁そうと、その内には昔日の清きこころが残っているはず。
悩んだ末、スコールを選ぶ。これがお互いに慈雨とならんことを祈って。
落ちるスコール。
無人の国道を満たす静寂。


静寂は硬貨が叩き付けられる音によって破られた。釣りは投げられた。こころは破られた。
私は彼女に待ち受けられてはいなかったのだ。失意。崩れ落ち、釣りに手を伸ばす。
70円。スコールは120円。計算が合わない。810円 ― 私の愚かで虚しい期待の代償なのかも知れないな・・・


「金返せ!」


私は自販機の横腹を蹴った。