読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

シャッターチャンスは永遠に

虹が好きです。いつ出会えるか分からないから。出会ったときは、必ず写真に撮りたいと思ってます。基本手ぶらなんで、撮るのはケータイかな。写真を見ると、その瞬間瞬間のかけがえの無さに改めて気づく。
ケータイのCMで小栗旬が言っていた。


二年程前の夏、部活が終わって帰宅の途中の話。水を張った田が一面に広がる道を自転車で急いでいたのだが、午後七時を超えても風は湿潤で、全身の細胞が倦んでいた。加えて悪く、朝通った道が工事中で通行止めになっており、もと来た道を引き返して違うルートで帰ることになった。一番近かったので、すぐそばの梨畑の間の小径を抜けることにした。その梨畑付近は地元でも群を抜いて変質者出没頻度が高かったのだが、気にしたら負けだと思って一層急いだ。
家の方向を考えながら闇雲にペダルを漕いだためか、いつの間にか道に迷ってしまった。何処へ行っても梨畑が終わらない。強烈な焦燥と恐怖。背の低い梨の木の葉が顔に当たり、半ば狂乱した状態となり、最終的には自転車を米俵のように傍らに担いで、無理矢理に梨畑を抜けた。
道が開けたところで橋をやっと確認し、小心者の徒労ゆえに大袈裟に疲れ切ったゾンビは安堵した。


その時、橋の真ん中で、私は絶句した。


私の右も左も同じように、視線の果てまで一直線に続くその水路が、蛍の光で満ちていた。
私はその時とっさに、ケータイのカメラでその光景を記録しようとした。しかし、写らなかった。微かな蛍の光を認識しなかったので、画面には全い黒しか写っていなかったのである。
私は諦めてケータイをポケットにしまい、もう一度辺りを見回したのだが、その瞬間、自分が永遠に続く蛍光のベルトの中に居る様な気がして、疲れも相まってその場に座り込んでしまった。今でもその光景はしっかりと憶えている。
−−−
最近のケータイは高い画質の写真が取れるのかも知れないが、見て、感動して、カメラに収めて、という一連の動作がどうにも勿体無い感じがするのだ。どこかに旅行に行って、綺麗な風景や豪華な料理を見て、パシャリ、ご満悦、というのは凄く損しているような気がする。写真を撮ることや美しい写真そのものは、私だってやっているし、見て楽しんでいる。だけど、自分の為の記録としてはあまりにも不十分だ。「デジタルへの変換で取りこぼすものがある」とか、そんな話ではない。たとえ画像が実物を100パーセント再現し、撮影できる範囲が広がったとしても、写真を撮って満足した瞬間から、忘れ去られているものがあるように思う。うまく言えないんだけど。
「記録に残せない瞬間」が存在しなくなったとしても、その瞬間が訴えかけるものは無限だ。お前のその感動がボタン一つで収まると思うなよ。今刻めるものは、嫌になるまで肝に銘じろ。すぐに写メを取ろうとするなっていう愚痴でした。