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ふざけすぎた季節の後で



「升買うて 分別かはる 月見かな」


芭蕉の句である。始めに読んだのは中学校の時だったと思う。
芭蕉が住吉大社を参詣したとき、そこで開かれていた「升の市」を楽しんだ。升の市の後には句会が開かれる予定だったのだが、体調を崩して芭蕉は欠席する。そこで、「升を買ったら句会よりも月見がしたくなったぜ」と言い訳してみたのである。ちなみに芭蕉はこの一ヵ月後にこの世を去ったという。かの有名な「秋深き隣は何をする人ぞ」は、そのときの句。正岡子規もそうだが、死ぬ間際の句には何とも言えない悲しさがある。
今でこそ俳句や短歌を楽しめるようになったが、当時はあまり良さが分からなかった。それどころか「升買て」を「ますかいて」と読み、「そうかー、そりゃ頭もスッキリして分別変わるわな」と阿呆丸出しの解釈をやってのけた。タイムマシンで当時に戻れたら、天国の芭蕉に向かって「あんたも謝りなさい!」と頭を下げさせるつもり。それにしても、俳句には歴史や詠まれた背景を知るだけで、途端にウットリするような句がある。


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もう一句紹介。


「マッチする つかの間脳に霧深し 身捨つるほどのエロスはありや」


((股ぐらの)マッチを擦ってみると、頭の中が霧が立ち込めるように真っ白になった。ふと、身を投げ打つほどのエロスなどあるのだろうかと思われたことだ。)


これに関しては今ここで謝ります。天国の寺山修司さん、ごめんなさい。*1

*1:「マッチ擦る つかのま海に霧深し 身捨つるほどの祖国はありや」から。この句も、終戦や戦後のもろもろと絡めて読むと本当にグッとくる句。