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新年

あけましておめでとうございます。本年も一人称が不安定な久保マムシをよろしくおねがいします。


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今日母の実家で森鴎外の「ヰタ・セクスアリス」を発見したのでもらってきた。

古すぎる。岩波文庫から出ているらしきそれは、中を捲ると「昭和十年十一月十五日發行」
と書かれている。七十年以上前の本である。裏表紙の岩波書店のマークもなにやら若干ぬめっていそうな不気味さを持っている。
祖父は建具屋を営んでいたが去年ついに引退し、今は悠々自適の生活を送っている。今でこそ毎日焼酎を飲んで笑っている印象しかないが、若い頃にはジャズバンドでコントラバスを弾いていたという。また、いつもシドニィ・シェルダンの本が本棚にぎっしりと詰まっていた。子供の頃からそのことを知ってはいたが全く意識もしなかったし、何しろ中学まで全く本を読まなかったから、彼の読んだ本を知ろうとは思わなかった。
今日は、ふとそのことを思い出し、子供のように家の中を探索してみたのだった。
母の実家は異常に階段が急であるため、いまや静かに老後を送る夫婦がわざわざ二階に上がることも無くなっていたのだろう、階段を途中まで踏みあがると埃臭い空気に半身を突っ込んでいることがよく分かるほど、二階は生活とは長く隔てられた場所に変わっていた。解体されたベッドと空のタンスが並ぶがらりとした空間の先の方で、大量に積み上げられた本があった。彼らは互いになかなか危なげなバランスで重なり合っていたが、それゆえに久しぶりの刺激を待っているような姿でもあった。近寄るとまず目に飛び込んだのは「せむしの小馬」という児童書だった。こんなもの今は子供に読ませられないなあ、と思いつつ「せむしの小馬」を傍らにどけると、その下には豪快な官能小説が一冊、顔面に殴りかかってきたので、とりあえず笑った。


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去年はあまり本が読めなかったので、とりあえず受験が終わるまで待ってそれから読もうと思う。しかし森鴎外は二作しか読んだことがないのだが、旧仮名遣いと外国語に埋め尽くされたこの作品を、今の私の頭で読むことができるのだろうか・・・


他には「武者小路実篤詩集」、俵万智の「サラダ記念日」、井上靖の「敦煌」をもらってきた。前二冊ぐらいはこの正月に読もうと思っている。