屁について

屁のワンダーを考える。音でも匂いでもなくその目的においてである。外部への作用でなく内部への結果についてである。
ゲップと放屁は行われる部位に関して対をなしている。口と肛門。古くから初めと終わり、上と下、入り口と出口、様々な比喩として対称に扱われてきた。しかしここに疑問を投げかけるは本日止まぬ放屁と腹部の膨満に苛まれるこの私、いや開口に勝って開肛一番か、その尋ねるところは「なぜ気体が下から出るのか?」である。確かにゲップは飲み込まれて胃に溜まった空気が上へ排出される自然な現象だが、しかし屁は?便の渦巻く混沌の中で整然とした秩序の中にある気体が、いかにして重力に逆らい、直腸へとやってくるのだろう?屁について私はこれまで無自覚であったわけではないが、ふとそれが疑問に思われたのである。


腸が蠕動運動をしているのは分かるだろう。そして蠕動運動が放屁に関与しているのは確かだが、そのモーションの複雑さについてまで考えると、放屁は実に興味深いテーマとして立ち上がってくる。例えば腸が撹拌と運搬だけを行っているとするならば、本来屁であるべき混合気体クラスターは排便の際に間欠的、断片的に排出されるべきであるが、そうではない。きちんと独立した屁が優先して頻繁に出ることがあるではないか。
このようにも考えられる。便は普段括約筋によって足止めされていて、屁のみが意識的に排出されているだけだ、と。蠕動の過程で偶然通りかかった屁を排出しているに過ぎないにも関わらず、人間が勝手にそうした屁の到来を都合よく解釈しているだけではないか?しかし、どうやら蠕動運動について調べていくと、自律神経によって制御された、「一方通行」な動きであるという。どうも内容物は大腸の内部で活発に移動しているわけでなく、むしろ行列のように「早いもの勝ち」のルールで押し込まれて行くものなのだろう。となればこれも誤りである。


では他の可能性、あるいは自らの経験とも照し合わせて考えてみると、これはもう「屁は何らかの力(これは決して超自然的なものを指すものではない)によって導かれているのではないか?」と考えざるを得ないのだ。
これは読者にも共感してもらえることと思うが、屁が出る前には直腸を屁が移動してくるのがなんとなく分かる。屁が装填される時、我々はその大体のタイミングが掴めている。


ということは、気体を選択的に排出することで腸内部の容積に対する吸収効率を上げる、つまり最適化が行われていると考えることはできないだろうか?あるいはそれが全く身体の意図しない、自然でごく単純な現象であるとしても、これがとても合理的であることに変わりはない。屁は放出されて空を舞い、音と匂いを伴って人々に認識された時点で屁となるように考えられているが、実は屁は既に内部から、それもある程度早い段階で屁(=外部)としての規定を受けているのかもしれない。