恋の話

これまで一度も恋愛の話を書かなかったと思う。そんなもの誰も興味が無いだろうという思いが一片、そもそも経験が無いというのがその残りの理由で、これは今後もそうかも知れない。ただ自分自身そういう沙汰に意地を張って抵抗してきたわけでもなければ無自覚であったわけでもなく、貪欲であったわけでもなく、ズルズルとここまで来て女の子を喜ばせる術を知らない。フィクションの恋愛もあまり好きではなかったので、ここに働く想像力も不健康でひ弱である。どうにも恋愛の情報に乏しいことが、自分の人格の停滞の一端をこれから担う(あるいは既に担っている)ことになるのではないかと、少し不安でもある。


良い機会なので私の気持ち悪い片思いの話でもしておこう。


高校一年の時の話。まだあまりクラスにも馴染めていない夏のころ、担任が一枚のプリントをクラスに配布した。


「これは○組のKさんの作文なの。三重県の最優秀賞をとった作品です。私、すごく感動しました。みんなも読んでみてね」


だいたいこんな感じのことを言った。彼女は若くはなかったが絵本の中の人々のような口調で話した。キティちゃんが好きで、服装もフリルが付いたものだとか、そういったものを好んでいるようだった。皆は彼女を気持ち悪がったが、私は彼女が話す折々にかなり頭を使いながら言葉を紡いでいるような気配を勝手に感じていたので、そのプリントに書かれた作文も彼女が語るだけの価値があるのだろうと思った。
作文を書いたKさんは中学のときから名前も顔も知っていた。ただ、塾で会ったり部活の試合で見かけるくらいで、私にとっては「いることを知っている」くらいの存在であった。


プリントに目を通す。ある詩集にまつわるものだった。ある始まりはシンプルで模範的な作文であったが、読み進めてゆくうちに、その引力の大きさに汗が出た。なんて美しいのだろう。詩集の内容、作者の生涯、自身の生き方との比較、構成は確かにオーソドックスだがその言葉の選び方、決して飾らず、洒落るでもないのに胸に響く。センシティヴな箇所を静かに貫通する。暗い側面を全て飲んだ上で、そこから見える光だけを全力で抜き取ったような清澄さ。
そして、そのころ既に醜い文章ばかり書いていた私にとって、その明しさは痛みとなった。


私に無い物をいくつも持っている。私が誰かを友達にしたいと思うのはそんな理由も多かったのだが、彼女はなんとも特殊だった。どうやっても手が届かないような、完全な敗北を味わって、あれを恋と呼ぶのは簡単だが実際は憧れに近いようなものだったと、今では思う。


部活もクラスも別で、二年生に進級すると彼女は文系に進んだ。私は理系だった。予想はできたが、接点は急速に失われていった。また、私は私で弓道部の部長を任されて余計なことを考える時間が無くなっていった。そのころは殆ど彼女のことも忘れていた。


夏休みを迎えて、部活の試合が増えた。練習に明け暮れて、ただでさえ怠けがちな宿題を後へ後へ回した。
そして夏休みも残り二日に差し掛かった頃に気づいた。読書感想文を書いていない。しかも最終日はまたしても試合の予定が入っている。これはまずい、と思った。私はとりあえず前日に数学を終わらせて、最終日の試合の合間に感想文を書くことにした。
計画は順調に進んだ。袴姿でシャープペンシルを握り、片手に持った本から引用すべき箇所を引用しつつ、いつものような屁理屈を急いで建築した。題材にした本は短編集で、その中の短い一篇について書いた。小難しいばかりでリズムもへったくれもないもので、読み返すとつくづく中身が無い。国語担任の教師が笑ってくれればいいな、と思った。


夏休みが終わってしばらく経ったある日、国語の授業の終わり、担任が私の席へ来て言った。
「読書感想文、うちの学校から君のやつも出そうと思うんやけど、ええか?」
「僕のでよければおねがいします」
そう答えた。


約一ヵ月ほど後だろうか、再び連絡が入る。私の感想文が市の優秀賞に選ばれ、県の審査に出されることになったという。もしかすると、あのいびつな解釈が受けたのかも知れない。そう思った。ただ書いた内容が内容なだけに、受賞は不本意で特に嬉しくはなかった。


それからまたしばらくして三度目の連絡が入る。あの作品が県の審査で賞を取ったと。


最優秀賞だった。


私はそのときに、久しく忘れていた彼女のことを思い出した。そうだ、去年は彼女が受賞したのだった。
担任に聞くと、Kさんも入賞したという。納得した。校内の入賞者は授賞式に出席せよとのことで、私と彼女を含めて三人が招かれた。そのときの記憶は残念ながら薄い。彼女と会話するチャンスであったが、結局何も喋らなかった。責任は全て私にあった。ただ、私は申し訳なく思った。即席の醜い言葉遊びなど、本来は評価されるべきではないと。
その後になって、再び彼女との接点が消え始めた頃に、受賞作品が全て掲載された冊子を貰った。彼女の作品も読んだ。やはり綺麗だった。私は相変わらず変なものを書いている自分が恥ずかしくなった。去年彼女がいた場所に辿り着いても、私は何も得ていないじゃないか。相変わらず彼女は別の世界にいて、全く別の世界を見つめている。それからひどく無気力な日が続いた。澄んだ瞳で何処かへと走って行く彼女を見失って、同じ場所を何度も行き来するうちにあたりは真っ暗になって、勝ち目の無い鬼ごっこは意図しない形で完結した。それでよかったのだと、自分に言い聞かせる。何かしらの形で私が彼女を縛ることなどあってはならないだろう。関わらない方がよかったのかもね。でもなあ。悔しい。未だにしつこく嫉妬しているのだ。私は。


書いてみると、これは恋なのか何なのか今も良く分からない感情だ。彼女が隣にいて欲しいとも思わないし、手を繋ぎたいとか、それ以上の男女の関係も、想像したところで全く下らない。ただ、彼女には世界がどう見えていたのか?結局はそこに執着している。自分の中ではこれがギリギリの恋と思しき記憶で、なんとも微妙なのでこれまで書かなかった。長い上につまらない内容で申し訳ない。