僭称アーティクル

これをご覧になっているアルファブロガーの皆様は日記をつけるときにいつも「記事を書く」ボタンを押して入力に取り掛かり、おのおの艶々の一眼レフで取った写真やら必殺ライフハックどんぶりやらによって衆愚(笑(笑))を魅了していることと思いますが、私としてはかねてよりこの「記事を書く」に少々違和感がございまして、それは何かと申しますと、私の書くものが「記事」ではないからなのですね。
記事とはなんぞやと、辞書を引いて定義にまで立ち返るのもよろしいのですが、三歩下がってアキレス腱切断に似た愚行ですし端的にいえば面倒ですので行いませんが、まあようするに「記事」は「文章」に比して「報道」のニュアンスを含むのでありまして、では報道とはなんぞやとなれば、膝行し三歩後退カニリンガスとなりますので女体無きアルファメイルこと私はこれ以上語義の詮索を致しません。とにかくこんな日記を記事と呼ぶのは僭称が過ぎると勝手に感じてしまうのですが、そこらへんの違和感については嗅ぎまわることがそもそも野暮なのかもしれません。おや?野暮とはなんぞや?
あるいは「はてなスター」の私の認識としましては、「粋だねえ」であり「ヒャッハ、それウケル」であり「感動をありがとう」であり、映画のCMでシアターから出てきたサクラが白々しく映画のタイトルを叫びながら「**サイコー!」と叫ぶさまでもあり、つまりは一口サイズのアプローズでよいと思っています。さて、やれ日の丸だやれジェンダーフリーだと右へ左へ喧々囂々と鼻糞のようなアイコンが議論をしている場所がはてなでは存在しますね。そういった場所では同属で抱擁し傷を舐めあうように、右は右へ左は左へ、スターを付け合っておりますが、もわっと臭い立つほど雁字搦めでありまして、スラングと文脈と成分の似通った怒りを持つもの同士が飛ばすのは、滑稽なほどフォーマルなスターではありませんか?私はあまりあれが好きませんが、これも知らぬ存ぜぬで通すのがライフハックというものでしょうか。
もともとの使い方から離れてゆくのは言葉だろうがデバイスだろうがサービスだろうが当然のことでありまして、そこは発展と閉塞の両方を孕みますが、変化に順応できないのはネットもリアルも同様私の悪い癖であります。どうにかせねばと常々・・・
最後になりますが眠気眼のまま本人も書いた内容を理解していない且つ推敲する余裕のないような状況の下書かれたこの文章が果たして「記事」といえるのか。分かりません。とりあえず、「眠気眼」って「邪気眼」と似ていますね。そういえば「眠気眼」というのは誤用で、「寝ぼけ眼」が正しいそうですが、この一文が皆様にとって報道と相成ったのであれば私も嬉しい限り。あっ、辞書を引いてはいけませんよ。