むかしむかしあるところのチェーン・リアクション2009winter

昔々あるところにアキレスという大層足の速い英雄がおりましたが、貴様は亀に追いつけぬと指を指されて宣告されたため、実際に競ってみれば話ははやいと競争することにしました。丘を越えたところにある町に亀を放ち、アキレスから逃げるように亀に言いつけると、彼は「合点承知ノストス」と地中海風の駄洒落を言いましたので、準備はできたと勇んでアキレスは丘の向こうから亀を追いました。
最初はすぐにけりをつけてやろうと思っていたアキレスでしたが、亀との徒競走に何をこんなにムキになっているんだおい死にたくなってきたなあ、と鬱々としてまいりましたので、少々休憩をしても亀には勝てるだろうとかんがえ丘の上の木の下で少し居眠りをすることにしました。夢の中で彼は自分がアキレスであることを忘れ、蝶となってあふれる光と花々の中を飛び回っていましたが、再び目を覚ますと深刻な鬱状態のアキレスでありましたので、これが蝶の夢であればいかに、とふと思いましたが大した哲学には至りませんでした。
気を取り直して丘を下っていると向こうからイヌとサルと地中海風のキジがやってきましたが無視しました。途中大理石でできた地蔵が五つありましたがそれも無視しました。
しばらくしてアキレスがようやく亀を視界に捉えると、亀は焦って足取りをはやめました。しかしアキレスと亀の距離はみるみる縮まるばかり。そこで亀は近くに泉をみつけました。亀は「そうか、アキレスと亀との距離が収束するのは亀がアキレスよりも遅いときのみ。水中で私がアキレスを上回る速さで移動する条件下では、値は発散するのだ」とトンチ・マテマティカを言いましたがちょっと考えれば当たり前のことでした。そのころ水際に来たアキレスは立ち往生していました。アキレスは生後間もなく不死の体を与えるという理由で実母の手で川に沈められるという虐待を受けたので恐怖から泳ぐことができず、泉に飛び込めませんでした。アキレスは歯噛みしました。すると泉の中から黄金色に輝く女が現れこう言いました。「私は泉の精。あなたが落としたのはこの金の亀ですか。それとも銀の亀ですか。」アキレスは「月の砂漠」を口ずさみそうになりましたが、考え直して「私が落としたのはガラスの靴です」と言いました。泉の精は「面白いことを言うお方ですね。どうか明日もいらしてください。それまでこれは私が預かっておきます。」と股間のこぶをひょいと取り上げてしまいました。可愛い顔して泉の精もたまってるんだな、とアキレスは呟きました。泉の精は続けて、「どうかこれをお召し上がりになって」と精のつくすっぽんをアキレスに渡しました。しかしよく見るとそれはさっきの亀でした。
亀は「ああ、どうか私をお食べにならないでください。変わりにリュウグウ・パレスへ貴方をお連れします」と言ったのでアキレスは亀に掴まって海の中を進んでいきました。すると海の底に煌々と輝く城があり、きらびやかな衣に身を包んだ乙女がアキレスを出迎えてくれました。アキレスは贅を尽くした料理を堪能し、魚たちの踊りに手を打ち、夢見心地で数日を過ごしました。心ゆくまで宴を楽しんだアキレスが亀とともに地上へ帰ろうとしたところ、乙女はアキレスを引き止めて、「絶対にあけてはなりません」と一つの箱を手渡しました。
アキレスが地上に戻ってみると、その街衢は変わり果ててアキレスを知るものは誰もいませんでした。アキレスは力なく立ちつくし、一体何のために亀を追いかけたのかと茫然としていました。ふとリュウグウ・パレスで貰った箱を思い出しました。開けてはならないと言われていましたが、今のアキレスにとってそんなことは気に留めるべきことではありませんでした。中を見るとマッチ箱が一つだけ入っており、「海底パブ Ryugoo」と書かれていました。私はキャバクラでいったいどれだけの時間を棄てたのか。我に帰ったアキレスはさめざめと泣きました。
亀を連れ、夕闇に浸り始めた海岸でアキレスは何をするともなく座り込んでいました。彼はおもむろにマッチを手に取り、一本を擦ってみました。すると炎の中にぼんやりと、海の中で振舞われた豊かな料理の数々が浮かんできました。しかし炎が消えるとその料理も闇の中に消えてしまいました。アキレスはマッチをもう一本擦りました。すると泉の精が優しく微笑んでくるのが見えました。アキレスも思わず笑みを返しましたが、それもじきに燃えかすとなってしまいました。アキレスは何も考えず最後の一本を擦りました。するとそのマッチは強烈な光を放ちながら、もうもうと煙を上げて燃えはじめました。アキレスは驚いて地面にうずくまって煙が収まるのを待ちました。火が消え、白い煙が夜空に沈んだころアキレスはようやく顔を上げました。すると、なんとアキレスはひらひらと優雅に羽ばたく蝶になっていました。
「なるほど、いままでのことも全て蝶の夢だったのか。蝶がアキレスの夢を見ていたのだ。」
蝶になったアキレスは亀に食べられました。