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ある少年の安寧

ぼくはいやなことがあったり、なにか心に取り除けない暗がりがあったりするときは、こんな想像をします。とても黒くて大きな鉄球が、すごい速さで自分に衝突する。イメージするそれは、速さの点では新幹線でもよいのですが、周りに人がいるのでいけません。せめて頭の中では人に迷惑をかけずに生きていたいものなのです。話を戻します。結論から言いますと、鉄球に当たってぼくは死にます。死ぬと言う点では銃弾でも良いのですが、銃弾は自分の肉体が形をとどめてしまうのでいけません。死にぎわの苦しみを問題にしているのではなくて、シンプルで純粋な「人間」の抹消装置を追及した結果が鉄球だったのです。話を戻します。黒い鉄球。ちなみにこれは振り子ではありませんし、転がってくるものでもありません。まっすぐにぼくに向かって直進してくるものです。想像できましたでしょうか。まわりの風景は草原でも市街地でも真っ白な光の中でも海の上でも構いません。向こうから大きな鉄球がやってきます。うわあ速い。でも逃げられません。巨大だし速いから。なす術も無く鉄球が衝突する瞬間、ぼくの体は粉々になります。木端微塵です。肉片も骨片も昼ごはんもすべてちいさなちいさな粒になって、血液と漿液は霧状になってあたりに舞います。そのあと鉄球はまたすごい速さで遠くへ飛んでいき、かつてぼくだった無数の塵たちは静かに地を湿らせるのです。ぼくはとくに鉄球が当たる瞬間のことを、スローモーションのように、執念深く濃く考えます。ぼくは鉄球が近づいてくるとき、死にたくないと考えています。あるいはただただおののくだけで、何も考えていないかもしれません。鉄球が、前に伸ばした手の指に当たります。とめられるはずも無くて、爪から肉へ、肉から骨へ、ヒビとも裂け目とも言えない崩壊の連続がすでにそこにおこっています。ぼくは痛いと感じるのですか。神経の伝達は鉄球に追いつかれませんか。せめて死ぬ前に痛みを感じることは果たして幸せなのでしょうか。分かりません。肘まで鉄球が来ました。肘から先はもうありません。鼻の先に、ああ、眼球が破裂して、前歯も、あんなにも粉々に。まだ脳が残っています。ぼくは何を考えていますか。知りません。鉄球の前にわずかに残ったグチャグチャのものがぼくですか。へえ。ここまでを全て一人称視点でイメージします。ここから先はイメージできません。なぜならここから先は脳が粉々になるからです。ぼくがもうすこし賢かったら、前頭葉が壊れてからの思考、頭頂葉、後頭葉、小脳、と順を追って話したいところですが、それはぼくの想像力の射程を超えているのです(言語野が壊れてからぼくの頭の中に反響しているのはだれ)。脳が壊れる前のぼくはぼくなのでしょうか。いやなことがあったり、なにか心に取り除けない暗がりをもっているぼく。それらはぼくが死んだらどこへ消えるのですか。ぼくたちは人格と肉体をきちんと整合させないまま、都合よく宙ぶらりんにして、死んだあの子や生きている自分やいまここにいない誰かのことを想います。ときには人格をくり抜くこともありますし、肉体だけを吹き飛ばして幻を見ることもあります。だけど、鉄球のまえでは全てがひとつになっているのです。人格も肉体も、全てが黒くて大きな鉄球の前では一箇所にあってしかも無力なのです。ぼくはこれをすごくすがすがしく思う。ぼくは「モノ」へと帰るのです。最後の瞬間に残されたぼくの痕跡は、どうやらこのやわらかな神経のかたまりらしいのですが、どう見てもこれはモノだ。人から好かれたい、信頼されたい、価値を生み出し社会をつくるぼくが、たったこれっぽっちのよく分からないものならば、もう人格はいらない。ぼくはモノだったのか。なんだ。もう思い残すことは無い。思い残す主体も無い。ぼくがぼくであることはどうやら思い違いであったようですね。ここまできて鉄球はぼくを叩きのめします。ぼくはここまでのことを反復すると、からだの力が抜けて安心し、ぐっすりと眠れるのです。

これを書いた少年は武器商人になったという。