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五年前の自分から手紙が来た。

乾燥した冷たい空気を吸い続けたせいか、朝起きると喉に痛みがあり声が出ず、朝飯も食べられずに寝転がっていた。午前9時ごろのことである。妹がポストを確認すると、年賀状に混じって一通の封筒が入っており、僅かに女性的な印象を抱かせるような文字で宛名に私の名前が書かれていた。いまさら私宛で実家に年賀状が届くはずもあるまいと思って封筒を手に取る。よく見ると差出人のところにも私の名前が書いてある。中には私の書いた手紙が入っていた。


内容はこうである。


−−−


5年後の(kubomi)様
2006年1月24日


今から5年後、というと、あなたは20歳になっていると思いますが、元気にしていますか。人見知りは治りましたか。字はきれいになりましたか。そして、大学生になっているであろうあなたは何を目指していますか。


私は今、教師になりたいと思っています。これといったきっかけはないのですが、中学校に入ってから、人の役に立てる仕事がしたいと思うようになりました。何故教師にしたのかというと、普通の会社で机に向かって毎日仕事をするよりも、子供と触れ合いながら仕事をする方が楽しいと思ったからです。子供に分かりやすい授業をしたいと思っています。だから今から人見知りを治そうと努力していますし、人に分かりやすい説明をするためにはどうすれば良いかを考えています。


私はあなたがまだその夢を捨てずにがんばっていることを願っています。そして夢が実現できるように私も努力します。
それではさようなら。


(kubomi)


−−−


そう、そう。思い出した。教室で五年後の自分に手紙を書くイベントがあったのだ。憶えによれば当時の担任に全員分の手紙を託したはずで、そうなると彼が今になって手紙をちゃんと送ってくれたということになる。
5年後の私への返事だが、結論から言うと教師なんてこれっぽっちも目指していないし、人見知りは治っていないし、説明は回りくどい。全部お前が努力をしなかったせいだろ。努力してるとか、嘘を書くんじゃないよ。


少し前にも書いたが、今は「こうはなりたくない」と思っているような人間に、将来なっている、というようなことがこれからの人生でしょっちゅうあるのだろう。5年前の私は教師になりたいと思っていて、今の私には教師などなる気がない。では5年後はどうかと考えると、意外と教師になっていたりするのかもしれない。あるいは「こうはなりたくはない」というネガティブな志向のもっとも残酷な例、例えば豚箱行き、なんていう結果もありえる。そうなるとこの手紙がワイドショーで弄ばれるのだろうか。あるいは卒業アルバムか。
そう思い、ついでに卒業アルバムを出す。最後のページのフリースペースにはみんなからの丁寧なメッセージの上から、真赤な極太マッキーで俺の顔に芋虫の胴体を付けた妙な絵が描いてある。この害虫はフキダシで「スースー」と鳴いている。スースーというのは当時の担任の特殊な笑い方を音訳したものだ。この芋虫を書いたのは友人なのだが、ワイドショーで取り上げられるとしたら間違いなくいじめられっ子の卒アルに見える。ちなみにこれを書いた母校の中学校は、2年前に廃校になっている。
そういえば、この手紙を託した当時の担任については、その2、3年後に心労で教職を休むこととなったと人づてに聞き、それを聞いて私は「やっぱり教師になるのはやめよう」と思ったのだった。