怒髪最適化のすすめ

怒ったり怒られたりするのはかなりめんどくさい。

面倒くさがりには二種類いて、一つは方法やシステムを変えることで手間を減らす発想ができる人間にあたる。こういう人間は問題を解決するという前提で面倒くさがるから有益だが、もう一つのタイプの「やらない」という選択をしてしまう人間はどうしようもない。海外文学はハナから登場人物の名前を覚えないし、リモコンが遠いという理由でテレホンショッピングしかやってない三重テレビを見続ける。
そんな私が「やらない」と決めていることの一つに、「怒る」という行為がある。怒るか怒らないかという場面がきたら必ずといっていいほど怒らない方に転ぶ。他人がどうかは知らないが私にとっては怒ることはすこぶる面倒で疲れる。だから他人を怒らないし、他人を怒らせない。これは自分の中でかなり優先度の高い行動の原則になっている。

怒るとき人は集中する。だから疲れる。

私が他人を怒りたくないのは、怒るのがかなり疲れる行動だからだ。怒るまで行かなくても憤る、イライラする、なんてこと自体が面倒臭すぎる。イライラするから脳トレもやらない。まあそれはどうでもいい。なんで怒ることが疲れるのかについて本気出して考えてみると、怒ることはかなり集中力が要るから疲れているのだということになった。それも単なる集中ではなくて、極度に「内」に向いた集中だ。例えば、怒りながら過去の失敗をほじくりかえしてそれを上の句に接いでさらに怒り続ける、という怒り方をする人がいる。そんなことよく覚えてたなお前、と思うものだが、あんなものよほど集中しなければ思い出せない。そのくせ人の話は聞く耳を持ってない。自分の精神の内部に向いた過剰な集中を前提にしてはじめて人は怒ることができる。私はこれがかなり疲労することに気づいて、やめることにした。

「怒られた」のではなく「怒らせた」

怒られるのもかなり疲れるので、怒られないようにしたい。だけど他人が怒る分はどうしようもない。そのかわり自分が怒らせる分はコントロールできるので、そこをいじる。怒られて面倒くさいと思ったら、なぜ怒らせたか考える。それだけ。「怒られた」と「怒らせた」って言葉の違いなんだけど、これが結構大きい。具体的にどうするかは知らんからその都度考えてください。
どうやっても理不尽に怒ってくる奴は諦めます。そいつとはしゃべらない。そのあたり潔いんですね私は。

二度と同じストレスを感じたくない

毎回同じところで転ぶのは嫌だし、何度も同じ奴から間違い電話が来たらうっとうしいし、アリコのCMはうんざりする。なのに世間の人々は毎回同じような怒り方をするのは嫌じゃないらしい。それどころかマンネリ化した鬱憤を嬉しそうに語りかけてくる。来んな!もっとサボれよ!