いつのまにか彼女は

私の親はかなり放任主義的というか、自由に私の好きなことをさせてくれた。とくに勉強しろだとか、こういう仕事に就いて欲しいとは言われたことがない。唯一強制されたのは自転車くらいだろうか。強制と似ているが、心配もあまりされたことがない。万事安泰な子供でもなかったが、父も母もとにかく見守ってくれた。そんな母が強く心配したことといえば、特に覚えているのは私が青虫に対して過剰にビビることと、夏休みの宿題くらいだ。

そんな母が夕食を食べながら私に「彼女はいるんか」と訊いた。いないと答えると、「好きな人にはアプローチをしなければいけない」という。さすがに分かっているし、余計なお世話だと思う。「好きな人くらいいるのか」と訊かれるが、特に思い当たる女性もおらず、閉口する。今までの人生で数度しか見たことのないような不安の炎が母の両目に泳いでいた。さすがに自分の母親であると、そのあたりの機微が嫌でも知覚され、あせる。恋愛とは多分、あの母が心配してしまうような大事なのだ。

「恋愛とは自己愛の投影だ」「ソープへ行け」「性欲に根ざしているのは本能」「童貞が許されるのは小学生まで」「年収1000万以下は却下」「中古はNG」「いわばエゴとエゴのシーソーゲーム」「結婚とは人生の墓場」「要は勇気がないんでしょ?」電子、活字、伝聞、様々な方法で様々な議論がなされてきたが、未だに答えはない。昔はこういう議論に花を咲かせるのも好んでやったが、今ではもう面白いと思えなくなった。信念があって恋愛に興じないのでもなく、情熱があって恋愛に精を出すこともしない。「前に流行った『草食系』か?」と言われれば少し眉をひそめる気持ちもあるが、まあ昔からどこにでもいたようなしょうもない草食系だ。そこは認める。

「アクションを起こさない理由」はいかなる装飾語でもってしても面白くなりようがないのは知っているので、自分に彼女がいないことの話題はここまでにしよう。とりあえず歴々の人々の試行錯誤の中で分かっているのは、確実にモテる方法がないと言うことだ。21世紀になってもバブル崩壊を予想できないし、風邪の特効薬はないし、芸能界で生き残れない一発屋は出てくる。ただ多くの場合で言えるのは、物理現象ではない人為的な要因が絡む現象で「解が無い」ということはつまり、「うまいタイミングを手前の目で見極めろ」ということである。これは先見の明、とも言う。

交友関係は広く浅くか深く狭くか?仕事と私どっちが大事?利他的か利己的か?才能か努力か?合理を突き詰めるか無駄を受け入れるか?空気を読むか読まないか?言いたいことは思った瞬間にはっきり言うべきか?日曜日は先週か今週か?そんな紋切り型の行動原則で幸せになった人間など一握りのはずなのに、未だにこういう議論をしている。臨機応変に、二枚舌で、姑息に生きる人間が大多数で、それでいいのだ。悩んだ末に選び取ったグレーのセンスは、原宿にさえ行かなければ全然OKだ。全身ブラックや全身ホワイトでキメて自慢げに歩いている奴の言うことなんて話半分に聞けばいい。

恋愛で言えば、顔か性格か?なんてのもおかしな話だ。多くの人はどちらも吟味した上で、その人なりのいい案配を探り当てているのだ。

着地点が見つからないので今日はこれで終わろう。私が無理に毎日日記をつけようとするとこういうことになる。