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これからの次元の話をしよう

「次元の低い会話」「低次元な争い」という表現がある。「低次元」は「考え方や行為の水準が低いこと」を示す語として広く浸透しているが、理屈っぽい人間はこういうことをほじくりかえして文句をつけたがるものだ。だから今日はこのことについて書く。
数学の問題を解いたことのある人なら分かると思うが、次元が低い問題というのは、正直かなりありがたい。中学校では二元連立方程式で脱落者が続出するように、次元なんてものは土下座してでも下がって欲しい。だけれどもこの世には次元は高ければ高いほど高尚で洗練されたものだという発想が存在する。例えば最近ホットなオカルトのトピックとして「次元上昇」というキーワードが存在する。2012年にフォトンベルトがどうにかなってしまうので魂の次元をアセンションしてサバイブしましょうという話なのだが、調べるうちに窪塚洋介が思い出されて心が温まってしまった。とにかく精神のもっとも高いレベルが5次元らしい。これに限らず現状を脱することを表現するときにも「より高い次元へ」などと言ったりするし、ぽんぽん次元を上げたがるのだが、学問の領域になるとちょっと次元が高いせいでバイオインフォマティシャンがゲロ吐いてたりする。次元が低いほうが問題は解きやすい。
ただ、ここで終わってしまったらただのイチャモンつけになってしまう。山茶花はサンザカと読めだとか、放射能と放射線を混同する奴とは友達になりたくないとか言っている人間の仲間入りである。

ここからは「低次元な悩み」「低次元な喧嘩」など、ある問題が低次元であるときの表現に限定して考える。

これは推測だが、あるものを「低次元」だと表現するとき、それは「本来なら低次元」ということを意味しているのではないかと考えてみる。ある問題が低次元であることは本来(比較的)解きやすいことを意味している。その問題に対し、当人が「低次元」、つまり思考水準の低いがために解決できないのだとしたら、それはいらんことをしているのである。非合理的な行動によって問題を複雑化させている、つまり高次化しているのだ。低次元であるがゆえに、感情的になったり言い訳をしたり、問題に言葉を継ぎ足して高次化し、解けなくなる・・・

お気づきかもしれませんが、こうやって言葉を継ぎ足してくだらないことを延々と述べているこのブログが低次元だという話です。