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AM2:36

部屋で寝ていると、階下が騒がしい。
住んでいるアパートの一階にはローソンが入っていて、夜中に非行少年が騒ぐことがよくある。だが今日は少年ではないらしい。だいぶ年を食った、四五十を超えたくらいの男が怒鳴り散らしている。しかもクレームをつけているようだ。


この手の客は個人的にあまり好かないので一階に降りてなだめに行くことにした。
上下黒のスウェットに紺のベストを羽織った、太めの男がわめいている。寝起きのせいもあってか、男が店員に向かって振り下ろす太い二の腕に残像を見る。眼鏡をかけた若い女性がレジでひたすら謝っているが、それがまた癪に障ったらしく掠れ始めた声でいっそう吠える。


「せ・や・か・ら!なんでこれには値段が書いてへんのじゃ!」
「申し訳ございません」
「雑誌やらにはよ、ちゃんと定価いくら、って、書いてあるやろが!」
「申し訳ございません」


キシリトールガムの100粒入りボトルをジャラジャラと鳴らして訴えるには、コンビニの商品には値段が書いてない、適当に値札をつけてぼったくっているのではないかと言う。こんなことでわざわざ怒鳴るのも常軌を逸しているが、女性店員の申し訳ございません一辺倒も中々筋金が入っている。
諭して帰らせようと思い近くに寄ってみると、アルコールの匂いがひどい。相当酔っているようだ。


「おっちゃんどうしたの」
「この店俺がアホやおもてぼったくってきょるねや。俺は腹たってしゃあないねや!」


多分何を言っても聞かないだろう、私は財布から800円取り出してバチンとレジに置いた。


「おっちゃんそのガム俺が買ったるからさっさと帰れや」


おっちゃんのアルコールに侵された脳が一旦動かなくなり、しばらくして、緩んだ顔が突然に電気をたぎらせたように渋る。


「貧乏人あつかいしよって・・・」


そういうとおっちゃんは目玉をひん剥き、口許は歌舞伎の見得のようにこわばって、両の腕にぐいぐいと力みを満たし始めた。まるで幼い子どもが悔しがるのと同じような姿勢になって私を睨んでいる。私は少々厄介な人間を怒らせてしまったと思い、腹に力を入れて、一歩下がった。


次の瞬間、おっちゃんはキシリトールガムのボトルをバカリと開き、冷えた茶を飲み干すように、ガムを二、三十粒一気に口の中に放り込んだ。


私と店員の女の子が呆気にとられていると、おっちゃんは勢い良く咀嚼し始めた。
キシリトールのコーティングがカリカリと砕け、口の中で踊っていた粒たちは徐々にくっつき始めた。ガムを噛むうちにおっちゃんは呼吸が苦しくなったのか、段々とあごを上にあげて気道を広げるような姿勢になり、ちょうどレジの向こう側、タバコの一番上の列あたりを凝視して無心でガムの塊をほお張っている。見る見るうちにおっちゃんの顔は赤くなって、悔しさと息苦しさから来る涙が黒ずんだ頬に注がれる。目は充血し、首から下は硬く一枚岩のように直立している。涙は鼻にも流れ込んで、おっちゃんは余計呼吸がしづらそうだ。


「ふすう」


と一息置いて、


「ごっひゅ」


と吸い込んで素早く十回ほど咀嚼し、また一息置く。この繰り返しだ。


汚らしい音を立てて、よだれを垂らしながらガムを噛み続ける。
おっちゃんは時々むせて、上空に霧状の唾を吐き出す。鮟鱇のように曲がった口から、酒臭いブルーベリーのフレーバーが噴射される。


目の前の状況に慣れて気持ちが落ち着いてきたころ、店員の女の子は突然「あっ」と声を上げて、おもむろにポケットからICレコーダーを取り出した。何をするのかと思うと、おっちゃんの口許にマイクを近づけて咀嚼音を録音している。
おっちゃんは何をムキになったのか、口だけ忙しくグチョグチョグチョとピッチを上げた。


「成人向けの同人作品あるじゃないですか。私それ作ってるんです」
聞いてもいないのに、彼女は私に説明をした。エロアニメなんかの、フェラチオの音はこうして録音されているらしい。


何がなんだか分からなかったが、私は目の前のおっちゃんがとてつもなく卑猥なことをしているように思えてきて無性にイライラしたので、おっちゃんの後頭部に平手をうった。
子どものこぶしくらいあるガムの塊がおっちゃんの口から放物線を描いて飛び出し、おでんのつゆの中に落ちた。