読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

二人のトルコ人

遅めの昼食をとりに学食へ寄った。ノロウイルスと思われる体調不良から快復したばかりなので、ライスの一番小さいサイズと大根おろし、フルーツヨーグルトをトレーに載せ、清算する。ここで出た欲は、大根おろしにはポン酢をかけるという固定観念の破壊である。そもそも何もかかっていない大根おろしが売られている時点でこれは試されているのに他ならないと気づくべきであったのだ。


ドレッシングの置かれたエリアに進むと、トルコ人風の顔立ちをした二人組が先に居たので後ろに並んだ。


だが二人は1分ほど経ってもそこに居たので、横から少し覗き込むと、右の一人が箸でご飯を食べていた。私とて飯を食べに来ているのだし、私とて一般教養程度の英語力はあったので、「おうトルコ野郎よく聞け、ここは飯を食う場所じゃねえ。ドンドルマでまぶた接着されてえのか」と言おうとしたが、どうも様子がおかしい。


二人の視界にギリギリ入るくらいの角度から、二人が何をやっているのかさらに詳しく覗き込むと、右のトルコ人は白米に種種のドレッシングを少しかけては味をしているようで、左のトルコ人は同じく白米に、ゲーセンの悪質なレバガチャのごときスナップでアジシオを振りかけている。楽しげに会話をする彼らの手元ではかたや多量の塩によって土俵際よりも告別式場よりも清められたどんぶり飯ができあがり、かたや大量の業務用ドレッシングによって明度の高いエマルションまみれになったごはんが出来上がってゆく。これに対しなんと注意すればいいのか、日本語ですら想像できなかったのだから、私はただただ文化の違いに言葉を失うだけであった。


順番が回ってきたときには、トレーを置くスペースに無数の食塩が散らばっており、脇にはキャップを開けっ放しのドレッシングのボトルが4つほど放置されていた。ふきんで塩をふき取りボトルの蓋を閉め自分が何をしようとしていたのか思い出すと、私は急に自分が恥ずかしくなった。


あろうことか、なんと私は大根おろしに棒棒鶏のタレをかけるつもりでいたのだ。


なんという凡庸だろう。白米をサウザンアイランド・ドレッシングとオーロラ・ソースとシーザーサラダ・ドレッシングで飾り立てることに比べれば、なんと矮小なことだろうか。あのときの私には、大根おろしにポン酢をかける以外の選択肢がとれたかと思い返してみるが、それは叶わなかったに違いない。