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「ブログ」が「ロック」と同じ言葉になってほしい

kubomi的なテキストサイト史観(これははずかしい言葉)で言えばブログの定義はテキストサイトの対義語にあたり、つまりは作者性のエンターテイメントから記事それぞれの独立したエンターテイメントへの以降という意味で、「パーマリンクを生成する形態を取るサイト」ということになるのだけど、今となってはMovableTypeWordpressの発達とかCMSも豊富になって今更「ブログ」でない形で生存しているのはパソコンに疎い大学の研究室のサイトとかあるいは遺跡のようなサイトとかぐらいだから、もう全部が全部ブログである。


結局テキストサイト時代の残党はいまだにいるし、かつてのテキストサイト的な文章を書くブログもあるから、結局テキストサイトはブログという大きな枠組みに吸収されて名前を失っただけで、目ざとい博物ならそれと見分けられるような形で残っている。


不必要に作者が語る。行間に自信が見える。勢いはあるが結論は無い。何日も体を洗わなかった女の肢体こそがテキストサイトであり、私はそれが大好きである。自尊心に漬けこんで半日ほど冷蔵庫で放置した自分語りを、臭いがキツいと言って食べないのは子供だと思う。私はそういう話が大好きだけど、多分それは手打ちのHTMLで見る事は金輪際なくて、それはブログとしてみることになるんだろう。


だけどそれは決して悲しい事では無くて、つまり表面上はブログであるが実体はテキストサイト、こういう関係をザインとゾルレンなどと言ってしまって恥をかくのもまたテキストサイトであり、個人的には名前がかっこよくなって良かったねと思うが、地縛霊と土地そのものはイコールではない。


話が変わるが、私は内田裕也の言うところの「ロック」が好きで仕方ない。あるいは「森高千里はロック」だとか、「けいおんはロック」だとか言ってしまう連中が大好きだ。自分の溢れ出す感情、愛、欲望をすべて「ロック」という容器に入れてしまって正当化する奴らは愛らしい。いったん「ロック」という箱に入れば、片思いは倒錯する。これはしばしば「アート」にも当てはまる。「これがアートだ」と言えば、アートに愛され、またアートを愛するという妄想によって、アートを介した双方向の恋がでっちあげられる。これは愛くるしい。


私は「ブログ」という言葉が、「ロック」や「アート」とおなじ用法の言葉になってほしい。


「これがブログだ」と言えば、皆が自由に語れる。中二病だと言われようが青臭いと言われようが、ディス・イズ・ブログなのだ。中二病で青臭いがゆえに評価されるロックがあるように、荒削りで先進的なだけであるがゆえのアートがあるように、悪臭を放つ自分語りであるがゆえにブログ、余りにもブログなのだ。これは決して「テキストサイト」という、今となっては過去の遺物と鼻で笑われる言葉ではもはや成しえないと感じる。


そんなわけで個人的にすごくブログだと思うブログを下に紹介するのでみんなもよく読むように。
これがブログだ!
ビビりだから直リンクはやめておくよ!


ttp://d.hatena.ne.jp/mimisemi/
ttp://d.hatena.ne.jp/lassen/
ttp://d.hatena.ne.jp/murashit/
ttp://d.hatena.ne.jp/harutabe/