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死の記事

誰かの死について書かれた記事に接すると妙な気分になる。故人へ捧げる文章を書くなとは言わないが、自分で書くことは絶対にないだろう。この違和感はずっと昔から、インターネットを始めたころからあって、いまだに上手く表現できない。
身近な人が死ぬと、少なからぬ罪悪感が沸く。死ぬに限らず、集団から追放されたり戻れなくなったりした人間や、死んだ動物に対し、自分が生きながらえる罪深さと引きとめられなかった無力さを、自覚することもなくいつしか感じるようになっていた。人の死をダシにアクセスを稼ぐのが悪いとは思わない。ただただ個人的な経験の末に根を張ってしまった、「あがなう言葉があるのか」という自分への問いかけだけに引きとめられ、知人の死を書けないでいる。
ネットに限らず何かを表現したがるような人間は、作ったものにその時点では満足しているはずだ。GOサインを出しているはずだ。そのはずだ。ならば私は誰かの死に充てた文章の、その背中を押せるか。
無理だと思う。自分を突き落とす行為のように思う。