n番煎じの洞察

セブンイレブンでハンバーグに半熟卵だか何だかの乗った飯を買い、おっぱい(電子レンジ)で温めてもらって家で食べていた。わずか一分弱で超高温になった卵に唇を焼かれながら食べていると、業務用のタフな電子に貫かれても固まらない半熟玉子の不思議にふと気付いた。


「おまえらコンビニで半熟玉子の乗ったものを温めてもらうと、黄身が全く固まらないって気づいてたか?」


2ちゃんねるのコピペなんかでありそうだ。「知らないほうが良かった雑学」なんて銘打って、どうせ後には「孵化能力のない油分だらけの卵を産むように品種改良された鶏」だの「着色料とウシの体液で作った疑似卵黄」だのが登場するのだろう、そんなことを考えていた。


それで試しに調べてみたら、すでにニチレイがそういう特許を取得しているらしい
「固まらないのは添加物のせい」という文句は、食品はもちろん化粧品などの分野で、自然志向の人々によってしばしば鬼の首を取ったように叫ばれることなので、すでに誰かが気づいているというのは当たり前と言えば当たり前のことだった。


半熟玉子の怪は、すでに解明済みだった。
おそらく食や性、あるいは老いといった生命活動に関して我々が洞察することは、これまでの長い歴史の中で出尽くしたものがほとんどなのであろう。不安だからだ。毒は食いたくない、妨げなく安眠したい、セックスは上手くなりたいし、若々しくありたい。「絶えず気に掛ける」ことがより深い洞察への一番の近道であって、恐怖の対象はその意味でより奥をえぐられる。漢方、カーマスートラ、果ては不老不死の薬に至り、生の探求が全力でなかった時代はなかった。不安の対象は、他より早く解明されてゆく。


反対に誰も不安を抱いていないものは、私のような若者でも最先端の洞察にたどり着くかもしれない。靴べらとか。