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あの娘の正気とワルツを

グリーやらモバゲーの「コンプガチャ」商法が景品表示法に抵触するとかなんとかの話。一定の割合で存在する景品を一定数集めるとより高位の景品がもらえるというのがダメらしく、古くはプロ野球チップスで同様の事例があったという。

私はガチャもプロ野球チップスも購入したことはないし、射幸心と縁があったといえばせいぜい昔チョコエッグでレア度最高のイリオモテヤマネコを一発で引き当ててそれっきり、というくらいしか思い出はない。昔の友人には今パチンコをやっている人間もいる。就職活動でグリーの選考を受けた奴もいた。見渡せばたしかにそうした射幸心を煽るビジネスとは無関係ではないのだけれども、いつまで経ってもギャンブルにハマる感覚にはピンと来ない。


「ガチャ」が話題になってから、確率論と直感の差異だの、法的にアウトかセーフかだのいろいろと言われているが、ガチャにハマる人とそうでない人の間にある溝についても考えなくてはいけないのではないかと思う。例えば先に例にあげたプロ野球チップスが、売り方はそのままで「大相撲チップス」だったら結果はどうだったのか。あるいはチョコボールの金銀エンゼル集めたらおもちゃのカンヅメは現行で問題視されてはいないが大丈夫か。大相撲のアルバムなんてほしい人はホモか相撲ファンの少数だし、おもちゃのカンヅメを血眼になって集める人間もそうそういない。だがプロ野球選手の写真をイカレた顔で求める子どもはいたのだし、特レア美少女アイドルカードをウン十万つぎ込んでゲットする大人はいるのだという、この事実、この対象購買層、このプロセスが全身に噴射する愉悦的体験こそ重要なのであり、仕掛ける側の戦略や構造的問題など実は二の次なのではないかという気もしているのだ。

我々「ピンと来ない」人間には、S-RAREのニートアイドルに銀座のすし屋で腹いっぱい食えるだけの金をつぎ込む神経は分からん。しかしその神経を解さなければ、本質的な解決はできないのではないか。例えば自分の兄弟が既にモバゲーのアイドルマスターに五万円つぎ込んだと知ったら止めるだろう。たとえ十万使おうが十五万使おうがそれがオタク冥利に尽きるのだとしても、流石に説得するだろう。その時我々はどうするのか。数学的事実を突き付けて理性的に反省を促すのか。たぶん、泣きついてやめてくれと言うしかななく、それで万策尽きたら「あいつはおかしくなってしまった」と言うしかない。


我々はどうも、そういう「狂気」への歩み寄りが足りない気がする。おかしい人間、おかしくなってしまった人間というものを、何かまたぎ難い敷居の向こう側にいるのだという諦めでもって、自分の世界と連続しないように焦っている。殺意、薬物、性依存、博打、妄執、幻覚、すべては快楽や恐怖といった一般的な神経の作用によって、健常で釣り合いのとれた状態から連続的に蝕まれていくものであって、我々の正気から羅針盤なしで歩いていけるところにある。しかしながらその極地へと到達した人間を、我々は怠慢にも見捨て冷笑しすぎた。


先日、自身の保守的街宣活動を認めない役人に罵声を浴びせる中年女性の動画をYouTubeで見た。脳内の文章を読み上げるように、見飽きた「その手」の思想でサヨクをまくし立てるその動画に、私は一級のホラーを遥かに凌駕する病的な狂疾と戦慄を憶えた。そして同時に「ああ、うらやましい」と思った。明確に自分が正しいと確信できる場で思うさまに言論で闘争する快感を、私はわずかながら知っている。賢しらにしていた中学生くらいの頃は口喧嘩がしたくてたまらなかったものだ。そこを繋がりにしてかすかに共感できる闘争のアドレナリンの雫を、私はその動画に見た。社会的に断絶され世間的には到底まともではないその女と、私は錯覚ながら繋がったのだ。

だからなんだ。それで彼女が救えるのかと言えば救えないだろう。いや、救うなど傲岸な。上からうらやみ挙句「救う」などと言いだした!

いや……むしろ、だからなんなのだ。救わねば。上から目線でも救わねばならない。そして私は、世に狂人の銘を打たれた人を救う方法が、狂人を狂人としてコントロールする方法しかないことに悲しみを感じる。こういう売り方をすれば人は熱狂する。言っても無駄だから放っておこう。だってあの人たちは狂っているんだもの。正常な判断力がない人をいじめるのはやめましょう。そんなことしか言えないないのだろうか?私はカウンセリングがしたいのか?臨床心理には詳しくないがおそらくカウンセリングのようなことがしたいのかもしれない。少なくとも狂ってしまった人々の本懐へ、判断力を失った脊髄の燃えるような陶酔へ、そこに足を踏み入れ共に歩むつもりすらない人間が、そこから救い出したなどと言ってはならない。法を整備し搾取を封殺すれば現象は消えた。だがそれで救ったのはただの財布じゃないか。


本文は具体的な提案など何もない。彼らに共感したところで救う術があるのかどうかも分からない。しかしその人の狂気を受け入れなければ、狂気は我々を拒むだけだろう。これからも人類は実体なきカードに数万を貢ぎFXで数千万を溶かし我が子に熱湯を浴びせ社訓を喉が潰れるまで唱和し人糞に爆竹を供え電磁波を脳で受信し木嶋佳苗を抱く。それを我々は檻の中の出来事のように笑うだろう。しかしいつまでそうしていれば良いのか。初恋の人が万引きの常習犯になっている。それでも笑っていよう?あの娘と終末を抜け駆けする方法を神は教えてくれない。