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銀玉、回胴、金、金、金!

バイト先の先輩に連れられ、人生初のパチンコ・パチスロを経験した。前々から、かようにも人々を惑わせるパチンコという文化に興味があったので、パチンコとパチスロ、それぞれ二度打ちに行った。このブログを読む人々のうちどのくらいがそうした遊技機(実質は賭博機だが)で遊んだことがあるか分からないのだが、たとえ常識的なことであっても私が見て驚いたことなどを、皆さんがそれらを知らない体で語りかけていくので容赦して欲しい。


まずパチンコについて。パチンコは本当に面白くない。パチンコ・パチスロが遊技機である所以は、パチンコの場合ハンドル、パチスロにおいてはボタンによる目押しにあるのだが、パチンコのハンドル操作というのがこれまた味気ないもので、自主性も技術介入度も雀の涙ほどしかなくゲーム性が非常に乏しい。簡単に言えば紙幣を機械に投入して、あとは手首を少しひねって当たりを待つだけなのだ。
風営法では、客が操作しなくても自動で玉が発射される遊技機を作ってはならない(それは賭博機になってしまうため)らしいのだが、耄碌した老人でなければ殆ど力も要らず、自動で発射される玉を見ているだけに近い遊びであった。


次はパチスロなのだが、これはそれなりに面白いと思ってしまった。正直、ギャンブルの楽しさを知らないのでゲーム性での評価だけになってしまうのだが、その意味ではパチスロの目押しやゲームシステムは、よく出来ていると感じる。私はてっきりカジノのスロットマシンのように、メダルを入れてレバーを押せばリールが回転して勝手に止まるような代物だと思っていたのだが、どうもそうではないらしい。パチンコのようにランダム抽選で当たりを内部的に確定させた後に、目押しで柄を揃えてボーナスに突入、という流れ(少なくとも私がやった中で理解したシステムはそう)のようだ。そのあたりの話は同行した先輩に聞いても非常に複雑で一度聴いただけではなかなか理解できなかったし、ここで説明してもやったことのない人にはチンプンカンプンだと思うので省略する。少なくともパチンコに比べて技術と知識が攻略に役立つという点では、ゲーム性があると言える。簡単に言うと、殆どが「凶」のおみくじを引く行為のようなもので、末吉と大吉だけ糊でくっつけられているため優しく開けないと破れる、というようなイメージである。


上で書いたように、遊びにおいて「自主性」、つまりはその結果を自分の行動で導いたのだという認識は非常に大きな快感のファクターであって、パチンコはそれが乏しいと書いた。しかしハンドル以外にもボタン連打を指示する演出(実際は結果に何の影響も及ぼさない)があったり、あるいは老人に多いのは、何のまじないか図柄の流れる画面を指でタッチしたりする人もいる。ポケモンでモンスターボールを投げてからAボタンを連打する心理と一緒で、意味は無いことでも自主性を演出すれば楽しさがグッと増すのだ。宝くじだってバラと連番を選べるし、競馬も着順を予想して馬券を買う。運命を選択したという感覚が手元に沸いた札束とスパークして、地獄へ続く快楽の神経回路を構築してゆくのだろう。


パチンコとパチスロをやって驚いたのは、打っている人の中に存外、高齢者が多いということである。パチンコの台は当たると爆音と強い光が出るのだが、横で打っていた老人がそれに反応して体をビクつかせていた。博打の死神に脳幹をわしづかみにされてシェイクされるような見ていてちょっとアブないレベルの痙攣に私は笑ってしまったのだが、なるほどこうした脳に直接働きかけるような演出が依存症や中毒を加速させるのかもしれない、と思った。
またそうした高齢者が、絶対に知らないであろうアイドルマスターモンスターハンターのパチスロを打っている光景はなんともシュールで難解である。モバマスといいスロマスといい、アイマスはどこまで浄財を呑んでゆくのか。恐ろしいゲームである。


あとそういえば「バジリスク甲賀忍法帖〜」のスロットがあったのにも驚いた!もう10年そこらか前のアニメである。私の暗黒アニオタ中学時代に見ていたアニメが何の因果かスロットとなって人の夢と金と時間を食い散らかしていることに私は感動した。陰陽座の歌うオープニングテーマが爆音で流れていて懐かしさに泣きそうになってしまった。打たなかったけれども。


結局今のところ収支はプラスになっているのだけど、もうやろうとは思わない。ただ一度の賭け金に上限がない競馬や麻雀に比べればまだマシなのかも知れないとも思う。なんにせよ賭け事はやらないほうがよい。