読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

俺は「釣り判定」を下したがる奴に対して心底怒っている

http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20131015001328
元記事が消えているので転載文も載せておく。
ミシュランの星がついたレストランで同棲中で婚約中の彼女と食事をした。 - はてな匿名 増田まとめ
レストランで婚約者と食事をしたら、母親からのメールに対応する時間が長かっただけでえらい機嫌を損ねられたという話。
これに対して、

電車で運転?さては釣り?

とか

あらま、こらまた盛大な釣りで。

とか書かれていた。電車に関しては、所謂パークアンドライドだったんじゃないの、と思うが。

今回書きたいのはそこじゃない。何か物議を醸すような記事が上がってきたとき、すぐに「これは釣りだ」って言いたがる人たちについて、私は非常に憤りを感じるということだ。

最近だとこの記事に対するブックマークコメントの一番乗りが「釣りです。」だった。

証拠不十分なまま釣りだと断定する愚かしさを説きたいんではない。悪質なのは、「これは釣りだ」と言いたいだけの人間が多数いるということだ。正直、上二つの記事の内容なんてどうでもいい。事実だろうが創作だろうが勝手にしたら良いし、釣りだったとしてドヤ顔で釣り解説でもしたらいい。そうではなくて、なんでもかんでも釣り判定を下したい人間がいるせいでネット上のさまざまな表現が萎縮することを懸念しているのだ。

まず「コレコレの箇所が矛盾しているからこれは釣りだ」という人がいるが、人間が書いたものってのは事実に基づいていようが結構な割合で破綻する箇所が生まれるものだ。例えば思い出話を書こうとして何の気なしに「あれはバイトの帰りだったと思うが……」と書き出し、物語の舞台が昼の1時になっていたりすると、注意深い人間からしたら「昼の1時に上がりのバイトなんてあるか?」となるだろう。まあ実際にその時間に退勤のバイトがあったのかもしれないし、実はバイトの帰りではなく大学の帰りだったのかもしれない。ただそこを見つけて鬼の首を取ったかのように「これは釣りだ」「創作だ」と言い張るのは、なんていうか、ナンセンスだ。そこまで厳密に整合性を詰めて書くのは金貰って物書いてる人間に求めれば良いことで、ブログってのは、そういう糸屑ゴミ屑が混入するのを承知で、一般人が表現するのを助けているもんだと思っている。

「釣り針が大きすぎる」とかも、それ言いたいだけだろって感じがする。

最近こういう流れが増えてきたのは、創作や虚構がネット上で拡散されたりする事例が増えたのと、釣る側の人間がそのことを発信し始めたのがきっかけだったように感じている。別にそれはエンターテイメントの範疇で勝手にやったらいい。人を釣って笑うのも勝手にやってくれ。釣られるやつは馬鹿だと遠巻きに馬鹿にするのもやったらいい。こんな釣りをやりました今から解説します、ってのも需要に応じてやってくれ。書籍化してもいい。悪趣味で個人的には反吐が出るけど全部自己責任でやったらいい。

ただそうした「違いの分かる人間」になりたがっているだけの醜い人間が、プロでもなんでもない人々の書いた記事や投稿の揚げ足を取って、あるいは文章の印象だけで「これは釣りだ」と罵るのは、もう地獄でしかないだろう。それで記事を消したら消したで「逃げた」「消すくらいなら書くな」などと言っている。そういう風潮が、自由すぎで洗練されてなくて文法も脈絡も穴だらけで、だけど20年前なら絶対に文章で何かを表現することなんて無かった層の意見、つまりインターネット、ブログのもたらす光を冒涜している。今は悪臭漂うはてなの中だけの風潮でしかないが、それをリテラシーだと勘違いした人間がいずれもっと大きな規模のインターネットを退化させる。ちなみにデマをデマだと警告することはすべきだ。ただ、それと「いちゃもん」は全く違う。

一昔前の「ステマ」も同じで、何かを褒めればステマと言われるような風潮が、誰に指図されるでもなく心からお薦めしたい・宣伝したいという言葉を萎縮させていた。フィルタリングはそれぞれがやるべきで、誰が引っかかろうが乗せられようが、誰がそれでいくら得しようが知るかと思っていたが、「何を言ってもステマと切り捨てられる」風潮が、いくつもの表現を人々に堕胎させたことが私は悲しかった。
「釣り」もまたそんな言葉になっているのではないか?感情に任せて書きなぐったものを、人に伝えたいという一心で書いた名も無き人間の叫びを「釣りだと言われるのではないか」という恐怖で萎縮させるのは、悲劇だろう。

要約すると、俺の嫌いな類のクソ表現は俺の愛するタイプのクソ表現の未来を潰すなという、ただそれだけの感情論であって、表現の自由とかそういう次元の話ではない。でも書かずにはいられなかった。夜中の3時だ。クソ。

言いたいことは以上。これも釣り。


《追記 2013/10/18》
いい話だと思ったら無条件で拡散するのが「信じたいものを無条件に肯定する」行為だとしたら、それと反対の「信じたくないものを無条件に否定する」行為は「早まった釣りの断定」だと思う。
そしてこれは完全に個人的な皮膚感覚でしかないけど、最近たいした根拠も深い推察も無く「これは釣りだ」と言いたいだけの人間が増えているような気がしている。

あるいは、嘘から人々を守るという大義名分で脳が麻痺しているのかもしれない。

その上で何を危惧しているかといえば、何かを書こうとしている人に「こんなことを書いて釣りだと罵られたらどうしよう」と思わせてしまうのではないかということ。これは今は小規模なインターネットの中の風潮でしかないけど、いつか、産まれる前に表現を殺す土壌を作る。

不必要に警鐘を鳴らすことに功罪があることは、福島の原発の一件が似た例だろう。嘘・釣り・デマは裁かれなければいけないが、それを裁くシステムは何も傷つけないかというのは別の話だ。私自身は、感動できるなら、役立つなら、示唆に富むなら作り話でもいいなどという、はた迷惑な精神は持ち合わせていない。

あと、既に書かれたものに対して釣りだ何だと言うことや、それで書いた人間が傷つくことについては、これはなんとも思っていない。書いてしまったことには責任を持てば良いし、それを弄って遊ぶ人間も自分の責任で勝手にやったらいい。あくまでこれから書かれようとしているものを牽制する側面についての話だ。


以下ブックマークコメントに返信。

id:hisawooo ウソがのさばってるほうがやだなあーウソでも感動できるからいいじゃんとか言っちゃうタイプのひとかー

嘘がのさばってるのは私だって嫌ですが他人の書いたものを碌な根拠も無く嘘扱いして良い訳ではないでしょうし、それはそれでデメリットがあるという話です。

id:nakakzs 別にあげつらって優越感に浸りたいわけじゃなく、それが嘘であるのに放置するとマズイ情況が多々あるんだってば。|最近創作として出たゲーセンの女の子も当初は事実のようにまとめられてたしな。

それが本当に嘘なら放置するのはまずいし、警告することが必要なのは分かっています。ただ、何でも嘘だと断定しておけばみんなが馬鹿を見ずに幸せになれるのか、っていうのは、少し違うと思います。

あとid:topisyuは薬物の常習犯みたいなモンだと思っているので手に負えないです。